1932年生まれ神奈川県出身。’60年堀プロダクション創業。’63年(株)堀プロダクション設立代表取締役社長,’84年代表取締役会長,’89年株式を店頭公開。’90年(株)ホリプロに商号変更,’02年取締役ファウンダー,’02年9月東証一部上場。’08年ファウンダー最高顧問就任,現在に至る。
今から22~23年前,いよいよ還暦を迎えるときです。人生80年と言われている今日,これから20年をどうやって生きるか考え,「違う自分になろう」というコンセプトを立てました。まず,車,家。その日以来,徒歩通勤です。家は遠いと徒歩通勤が続かないので,約2キロのところに越しました。ゴルフも40年近くやっていたスイングを全部一回ぶっ壊して,やり直しました。違う自分になるということは,環境から自分を欺かなきゃなれないだろうということで,女房以外全部変えました。これを称して「二毛作」と言って仲間に勧めています。私の場合は,すでに三毛作くらいになっています。
私が住んでいた横浜市中区滝之上は空襲でも焼け残りました。私の家も小さな洋館でしたが,一帯は洋館が多く「米国が残した」と当時から言われておりました。大きな洋館は進駐軍に接収され,自宅の斜め前も東日本を統括していた米軍・第8軍の司令官,アイケルバーガー中将の官舎で,歩哨が2人立っていました。当時13歳の私は,ろくなものを食べてません。中将以下のさっそうとした姿に,意味もわからずカッコいいなと思いました。軍国少年だったのに,ものの見事に進駐軍文化に豹変するわけです。180度の転換だったので,この辺までで多分一毛作です。
だんだんと世の中が復興します。当時娯楽はラジオだけ。ある日突然,ギター1本で非常に寂しげに前奏が始まる曲が印象に残りました。「湯の町エレジー」という曲です。何としてもギターを買いたいと思い,やがて手に入れるわけです。仲良くなった中将の歩哨の中にギターを弾くやつがいまして,「そのギター,貸してみろ」と。彼が弾いたのが,カントリー&ウェスタンでした。第8軍は,テネシー州を中心に兵隊を集めた軍だということが後でわかりました。「湯の町エレジー」とはまた違う,三角状のピックという爪で弾くのが,意味も全くわからないんですが,倍にカッコよく感じました。まさにカルチャーショックです。結果的にそれがこの道に入ることにつながるわけです。
大学1年のとき,「ワゴン・マスターズ」というグループに入りました。ヒット曲もあり,全国巡業もしました。カントリー&ウエスタンは,もともとバンドの中にドラムが入らないという大前提があります。米国では,カントリー&ウエスタンの中心はテネシー州のナッシュビルですが,それに対抗してカリフォルニアのほうで台頭したカントリー&ウエスタンのニューウェーブがドラムを入れ,ロックンロールのテイストで大激論になったこともあります。ワゴン・マスターズでも,ドラムを入れるべきというのが私たちの思想で,保守的な連中と対立しました。
ドラムが入るか入らないかというのは,エルビス・プレスリーの登場がきっかけです。エルビスの曲をワゴン・マスターズで歌ったのは小坂一也です。レコーディングのときはドラムがエキストラで入るのでいいんですが,ライブになるとドラムがいない。一味足りないというか,音楽的にもおかしい。大論争になり,私と,当時小坂と一緒に歌っていた寺本圭一という歌い手と2人でワゴン・マスターズを出て,自分のバンド「スウィング・ウエスト」を結成しました。人気絶頂のバンドから反旗を翻すような形で出たものですから,いろんな妨害がありました。
しょうがないので,プレイングマネジャーをやることにしました。それがまた,今日の裏方に転じるきっかけになるのですが,ともかくしゃにむに練習しました。1年を待たずして『ミュージックライフ』という雑誌のバンド人気投票で,ワゴン・マスターズを抜いて1位になったことが私の運の強さというか,この道で何とか生きてこられたということになるかなと。ここらへんで多分二毛作目ぐらいを経験したのかなと思います。
還暦の年,もうひとつ決めたことがあります。「きょうから怒らない」です。私が社長をやめたのが50歳なんですが,それも,40代はじめから言っていました。
不言実行だと,何年か後にそのときが来たときに,自分と妥協すればそれはないことにできちゃうんですね。だから,ビジネスの世界では有言実行のみ。たとえ多少弱気になっても,1回口に出したらそれを実行せざるを得ないというふうに自分を追い込まなきゃいけない。そんなことで「俺は怒らない」と。それまでは毎日怒り狂っていました。
ただ,怒るというのは年齢とともにエネルギーが要るわりに効果が薄い。現在は天地自然の理に従って生きている,生かされているという感じです。今,快適な人生のホームストレッチに入ってます。ただ,「違う自分になる」と決めたときのコンセプトは80を仮定していました。いよいよ来年80。またタイムリミットが来てしまいました。
僕はサミュエル・ウルマンの『青春』という詩が大好きで,「理想を捨てたときに老いが始まる」というくだりが特に好きです。何か目標を持たないと老いさらばえてしまう。来年以降のテーマを「違う自分になる」とはさすがにいかないので,考えた挙句,「エージシュートを狙う」と公言しています。難しいとは思いますが,やってみる価値はあると思っています。これから何年生きるかわからないのですが,「エージシュート」を目指すことで老いを退けるということで,毎日を過ごしています。つまらないだぼらを吹きましたが,ご静聴ありがとうございました。