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2015年3月20日(金)第4,526回 例会

父という余分なもの

山 極  寿 一 氏

京都大学
総長
山 極  寿 一 

1952年東京生まれ。’75年京都大学理学部卒業,’80年3月同大学院理学研究科博士後期課程研究指導認定,同年5月同課程退学。理学博士。カリソケ研究センター客員研究員,(財)日本モンキーセンター・リサーチフェロー,京都大学霊長類研究所助手などを経て,’02年京都大学大学院理学研究科教授。’11年~’13年理学研究科長と理学部長を務めた。ゴリラ研究の第一人者で知られ,’08年~’12年国際霊長類学会長も務めた。’14年から現職。

 昨年10月から京大の総長を務めておりますが,その前はアフリカのジャングルでゴリラを追い掛けて過ごしました。「ゴリラの研究やめたんか」と言われますが,まだ続けています。京大はアフリカのジャングルのようなもので,ゴリラがいっぱい。そのゴリラの研究を続けていると申し上げております。今日は「父という余分なもの」というちょっと危険な題でお話をさせていただこうと思います。

社会的な父

 正確に言うと,動物には生物学的な父,つまり種オスはいても,社会的な意味の父親はいないという意味です。動物界には基本的に社会的な父親はなく,オスは種オスです。人間は不思議です。父親が世間でも,子どもにも,母親にもきちんと認められている。ゴリラは確かに父親に思われるようなオスがいます。しかし,どこか違う。

 ゴリラは普通10頭前後の集団で暮らし,大体1頭すごく大きなオスがいます。背中が真っ白で,そのためにシルバーバックと言われます。メスも子どもも銀の背に強く惹きつけられ,付いて歩く。

 ゴリラは人間の家族に似たような集団で暮らしています。でも,オス同士はメスをめぐって激しく対立し,家族同士がまじり合うことはありません。オス同士も現実には戦いたくない。そこで胸をたたく「ドラミング」をするわけです。するとメス,あるいは子どもが「まあまあ」とやってきて,オス同士が「面子」を持って引き下がれる。

ゴリラは生まれた時に母親がすぐ赤ん坊を抱き上げ,1年間は決して放しません。オスは生まれたての赤ん坊にあまり興味を示さない。メス1頭で赤ちゃんを育てます。しかし,乳離れするころになると,お母さんは子どもをお父さんゴリラの側に連れていく。オスの白い背中はとても子どもにとって魅力的ですから,子どもは背中にもたれて休みます。すると,お母さんはそれを見てそっと離れていきます。

 赤ちゃんは,自分がずっと頼っていたお母さんが身の回りにいないものだから不安になりますが,このオスの周りには年上の子どもたちが群がって遊んでいる。その子どもたちに遊びに誘われる。やがて楽しいからお母さんがいないことを忘れる。お父さんが子どもを預かり,育てるようになる。ゴリラの父親は,まずメスから信頼するパートナーとして認められ,子どもから保護者として認められ,初めて父親としての力を発揮できる。

2つの説

 ゴリラのメスは思春期になって性ホルモンが分泌を始めて性衝動が高まってくると,自分の父親であるオスを嫌い始め,接触を避けます。オスも娘が発情し始めたら,そのメスに興味を示しません。メスは集団の外に相手を見つけようとし,集団を離れていきます。19世紀末にエドワード・ウェスターマークが人間の社会で予言した話です。幼児期に親密になった異性とは,性的成熟に達すると接触を避けるようになると。

 しかし,この説は同時代の精神分析者ジークムント・フロイトによって長いこと黙殺されてきました。フロイトが言ったのは,幼児期に人間は異性の親に性的関心を持つ。その関心を同性の親から抑圧されることにより,エディプス・コンプレックスと言うコンプレックスを持つ。やがて親族集団の中ではない外に適当な異性を見つけ,集団を出て行く。だから,これはインセスト(近親相姦)を禁じる一つの方法だというわけです。これら2つの説が対立していましたが,1960年代以降,日本の霊長類学を中心として,人間以外のサルで,自分が育てた子どもには異性の親は性的関心を示さないし,異性の親に対しては息子も娘も性的関心を示さないことが分かった。

 動物の社会には,家族的な集団か,単なる集団か,どちらかしかありません。ゴリラは家族的な集団,チンパンジーは家族がなく単なる集団です。家族はえこひいきが当たり前です。親は子どもがかわいい。子どもは他の大人よりも親を大切に思いたい。何かしてあげてもお返しを期待しない。家族を離れれば,何かしてもらえばお返しをしなければならない。対等なやり取りが共存の条件になります。だから,家族的な集団と大きな集団というのは両立できないのです。でも人間は,なぜか2つの原理を両立させて暮らしている。今それが簡単ではなくなっているのです。

家族崩壊の危機

 家族というのは今,崩壊の危機にさらされています。原因は恐らくグローバル化,少子高齢化,そしてIT化だと私は考えています。崩壊の引き金を引いたものが「インターネット」と「個食」だと思います。コミュニケーションが変わり,食事の形態が変わった。食事というのは,人間にとって非常に重要なコミュニケーションの手段でした。向かい合い,長時間相手の顔を見ながらコミュニケーションをとることができる。

 言葉を十分に使い切れていないままに,IT化の時代に入りました。同時に少子高齢化で,子育てを家族を超えてしなくなり,家族同士のつながりが消失しました。家族を代表するという思いが責任感を増す。それがなくなれば男は上下関係に陥りやすく,社会の階層性が拡大し,われわれがつくってきた並列な社会ではなくて,上下関係が重視される社会になっていくのじゃないかなと思います。

(スライドとともに)