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2015年2月20日(金)第4,522回 例会

先住民族の叡智

月 尾  嘉 男 氏

東京大学
名誉教授
月 尾  嘉 男 

1942年生まれ。東京大学工学部卒業。工学博士。名古屋大学教授,東京大学教授,総務省総務審議官等を経て,2003年より東京大学名誉教授。情報通信審議会をはじめ,政府や地方自治体の審議会や懇談会の委員等を歴任した。

 大学の工学部で50年以上工学を勉強してきたのですが,50歳を過ぎた頃から工学が創り出した技術が必ずしもすべていい結果だけをもたらしているわけではないと思うようになりました。そこで工学の成果を利用していない社会へ行けば,工学の意味が分かるのではないかと,大学を定年で辞めてから世界各地の先住民族を訪ねることにしました。

文明の矛盾

 文明には矛盾したことが随分あります。インターネットの内部を往来する電子メールの90~95%が迷惑メールと言われています。それらを削除するための時間を金銭に換算すると1年間に250兆円になります。温水洗浄便座は日本の76~77%の家庭に普及しています。素晴らしいことですが,朝8時前後に30%程度が集中して使われるときの電力消費は470万キロワットです。福島第一原子力発電所がフル稼働して発電する電力に匹敵します。

 そこで文明がそれほど浸透していない世界を調べてみようと,「先住民族の叡智」というテレビジョン番組を6年間で30番組(ニュージーランドのマオリ族,スカンジナビア半島のサーミ民族,北米大陸のイロコイ部族など)制作しました。

生物を崇拝する伝統

 それらの民族の生活に共有する文化を,いくつか挙げてみたいと思います。

 生物を崇拝することは日本人にとっては当たり前のようですが,先住民族にも共通します。アメリカインディアンのネズパース族に「どのような動物もあなたよりはるかに多くのことを知っている」という言葉があります。その証拠が動物の予知能力です。2011年,ニュージーランドの海岸にゴンドウクジラが107頭も突進して死にました。その2日後に600㌔離れたクライストチャーチで地震が起こりました。現代の科学では解明できていませんが,予知能力があるのかも知れません。

 オオソリハシシギという渡り鳥は秋が近付くと,アラスカからニュージーランドまで1週間で1万㌔以上を無着陸で飛ぶ能力を持っていますが,人間がそれと同程度の飛行の出来る飛行機を開発したのは最近のことです。

 最近,人間も謙虚になり,この10数年,生物の優れた能力を真似して新しい技術を開発するバイオミミクリという学問分野が出てきました。蚊の針の先は複雑な形をしているために刺されても痛くありません。それを真似したところ,痛くない注射針が出来ました。零下60度でも生活できるホッキョクグマの体毛の構造を真似した温かい繊維もバイオミミクリの成果です。

土地や時間の考え方の違い

 土地の私有は先進国では常識です。私有地と共有地があれば,共有地が先に荒廃するという有名な論文があり,大学で環境の授業の教材になっています。ところが先住民族の社会には当てはまりません。モンゴル国の草原は2000年以上も放牧で維持されてきましたが,中国の内モンゴル自治区はわずか数十年で砂漠になってしまいました。すべてを分割して私有地にしてしまったため,過放牧になった結果です。共有地だと互いに迷惑をかけないように使おうということで草原が維持されるのに,私有地にすると学者の理論と反対の結果になる。土地を私有するということが必ずしも正しいわけではないのです。

 時間感覚も文明社会とは違っております。カナダの先住民族が生活するヌナブト準州で環境副大臣にインタビューしました。立法権のない準州を州にする交渉をしている最中です。「いつまでに州に昇格させるのか」と質問したところ,「自分はイヌイットの漁師で,冬は零下40度にもなる真っ暗な氷の上で,アザラシが息継ぎの穴に顔を出すのをじっと待っている。大事なことはアザラシを捕ることで時間は問題ではない」という答えでした。アマゾン川の源流地域に生活するマチゲンガ族の女性が焚火でパンを焼いているので,「あとどれくらい焼くのか」と質問したところ,「美味しくなるまで」という名答でした。いつまでに目標を達成すると決め,時間に追われて中途半端でも仕上げてしまう現代社会とは違う時間感覚です。

日本は貴重な国

 日本は国土の森林面積比率が68%もあり,高密度で生活する経済大国としては異例の国ですが,その背景にあるのが自然を崇拝する伝統文化です。立派な木は御神木として切らない。大きな岩は神々が降りてくる磐座(いわくら)として崇拝する。多くの動物は神のお使いと大事にする。

 日本最古の神社といわれる大神神社には本殿はなく拝殿しかありません。御神体は背後にある三輪山だからです。明治までは神職といえども立入ることはできない神聖な山でした。このような自然を崇拝する精神は先住民族にも共通します。この伝統文化が東日本大震災のときに威力を発揮しました。仙台空港から海岸に近いところに創始806年といわれる下増田神社があります。津波が襲来したにもかかわらず無事でした。相馬地方では,海岸沿いの82の神社のうち68が無事でしたが,それらはすべて津波の到達限界に鎮座していました。

 日本は先進工業国,経済大国であるにもかかわらず,このような精神文化が社会に浸透している世界で唯一といってもいい貴重な国です。この文化を思い出していただきながら,日本を守っていっていただければと思います。

(スライドとともに)