1946年生まれ。東邦大学卒業。’82年米国ワシントン大学へ留学。’86年に岐阜大学医学部に移り認知症予防の神経学的研究を行う。’89年記憶研究の国際プロジェクトに参画するため再びワシントン大学に招聘される。その後,岐阜大学医学部助教授,神奈川歯科大学教授を経て現職。著書に「認知症を『噛む力』で治す」等多数。
今,認知症がどんどん多くなっており,噛む力がどれだけ大事かということをテーマに「認知症を『噛む力』で治す」という本にまとめました。今日は認知機能に及ぼす「噛む力」の効能について,2 点を取り上げてお話しします。
11~2年前,ノーベル財団から呼ばれ,スウェーデンのカロリンスカ大学を訪れました。同国では認知症患者は自然沐浴などもやりながら最後まで在宅でやる,誰もがなり得ることで認知症は怖くないという話を聞き,とても感銘を受けました。日本では「ハート・リング運動」というのがあり,認知症患者の家族に周りの方々が協力する。家族だけで抱え込まない,皆で助け合おうという運動です。すばらしいことだと思います。
認知症はどんどん増えており,今年は(65歳以上人口に対する比率で)10.2人に1人が認知症になっているということです。激増する認知症の背景には「糖尿病」と「ストレス」があるのではないかということで,「糖尿病の合併症としての認知症」と,「慢性ストレスによる認知症」を考えてみました。
認知症と糖尿病には不思議な関係があります。認知症患者数の推移(1972~2015年)と糖尿病患者数の推移(1960~2011年),タイムスケールは少し違いますが,認知症患者は72年には推定で10万人。糖尿病は60年には推定20万人,認知症は30年間で約20倍に増加し,糖尿病は37年間で34倍に増加しています。
日本人の糖尿病のほとんどがⅡ型糖尿病と言われます。健康なら毛細血管に入ってきた糖が細胞の中に入ってエネルギーをつくります。糖尿病になるといつまでも糖が取り込まれないで存在し,血管の中の糖の濃度が高くなり,細胞の中に入らないのでエネルギーがつくれない。そこでこの細胞は死んでしまう。
ここで「噛む力」の実験です。管理栄養学科の女子学生を対象に実験しました。ご飯を食べる前に「ガム」を10分間噛んでもらう「食前ガムチューイング」を9週間続けてもらいました。10分ぐらいを目安に食べる前にガムを噛んでもらう。すると70%の方に体重減少が見られ,30%弱ぐらいの方は逆に増えた。ガムを噛むと食欲がわいたとか,おなかの空き具合が収まったという声がありました。ガムチューイングをやめるとリバウンドが来るはずですが,1カ月たっても戻らないという結果が出ました。9週間のガムチューイングで,まず血液中の中性脂肪が下がり,血栓をつくる悪玉のPAI-1の減少も認められ,いいことづくめです。
次は浅田病院の院長先生によるものすごく画期的なデータ。境界型の糖尿病の方がガムチューイングをすると,血糖値が正常値に早く下りてくることを見つけられました。インスリンのほうも,ガムチューイングをすると正常範囲に近づいていく。浅田先生のコメントによれば「噛むことによって唾液がたくさん出ており,この唾液の中にどうも,いい効果が出てくるファクターが入っている」と述べておられます。
次に「ストレス性認知症」の背景について話します。動物実験では,ストレスがかかると血液が血栓を起こす,ドロドロして毛細血管のところに引っ掛かり,先に血液が通らない。これが脳で起こればそこから先は細胞が死んでしまう。次々とストレスをかけていくと,さらにこの毛細血管がどんどん詰まる。もう一つ恐ろしいのは「慢性ストレスによる認知症」です。脳がストレスを感じると,副腎からホルモンがたくさん出ます。その中の糖質コルチコイドは大量に出てくると,記憶をつくっていく「海馬」の神経細胞が死んでいきます。
慢性的なストレスはジワジワと海馬の神経細胞を壊します。認知症は海馬から始まります。海馬は左右の脳にあり,情報は全部海馬に入りますが,神経細胞死が進むと萎縮が起こり,情報がそこで止まって大脳にフィードバックされなくなります。ストレスを最初に感じるのは「扁桃体」です。ストレスには不快と快があるのですが,通常われわれはストレスとは不快な情報として解釈しています。これを分けるのが扁桃体で,海馬のすぐ隣に位置しています。
10年前の私の実験ですが,翼状針を入れてストレス物質を量るため血液を継続的に取っていく。そしてMRIで脳の前頭前野と扁桃体の脳活動を撮っていきます。そこで大音量の非常ベル音を3分間聞かせ,どう反応するかを見ます。驚かないでください。ぜひ聞いていただきたいと思います(――非常ベルの音)。この音を聞かせると,血液で見てもやっぱりストレスを感じている。ところが,この時ガムチューイングをすると,ストレス物質の濃度が下がることが分かりました。ストレスが噛む力で軽減されるということです。
われわれの五感情報は目から80%ぐらい入ってきます。情報が全部海馬に入り,連合野というところに貯蔵されます。最後に前頭前野に来て,判断とか,決定をします。これが記憶のメカニズムです。ここで噛む力を取り入れると,経路は全く同じですが,海馬の情報量が増えている,そうして前頭前野の活動が高まる。このようなことが噛む力で現れてきます。一方,前頭前野と海馬で情報が行ったり来たりしていて,噛むことにより両方の神経活動が高まってきます。情報が少なくなると,神経細胞は必ず死にます。ですから噛む力を取り入れて,認知機能の根幹である海馬の神経活動と,前頭前野の神経活動をぜひ高めていただきたいと思います。
(スライドとともに)