1936年生まれ,’58年東京大学卒業。NHK入局,’70年ニューヨーク特派員,’90年大阪放送局長,’91年理事営業総局長,’99年財団法人大阪21世紀協会(現公益財団法人関西・大阪21世紀協会)理事長,’03年心学明誠舎理事長。その他の役職は,関西経済同友会幹事・水都大阪推進委員長(’13年まで),関西元気文化圏推進協議会副会長,大阪文化祭賞運営委員会会長,日本ツバル交流協会名誉会長など。’01年当クラブ再入会,’06年プログラム委員長,’07年理事・友好委員長。
「心学」という言葉を,私は心を磨く勉強,心を鍛えるものと解釈しています。本日お話しするのは,石田梅岩という人が始めた「石門心学」,京都,大坂で始まった町人,商人の商業道徳といった話です。
実は連綿と230年,大阪でこの石門心学の塾(「講舎」と言います)が続いています。勉強会のような,ある意味の社会運動みたいなものです。10年ほど前,ほとんど滅びかかっていたのですが,現在は180人ぐらいの会員が入って活動を続けています。
なぜこういう心学が出たのでしょう。江戸幕府が開かれ,小さな漁村に過ぎなかった江戸は100年で百万都市に膨張します。言ってみればバブルです。このバブルを支えたのは大坂でした。大坂は,急成長する江戸を支える「天下の台所」でした。
このバブルが崩壊すると,悪徳商人が跋扈し,社会全体に喪失感が広がりました。士農工商という身分の順番があり,喪失感の中で商人に責任を負わせようというムードがあったのかもしれません。「商人は二重の利を取り,甘き毒を食らい,商人と屏風は折れ曲がらざれば立たず」と言われ,商人に対する風当たりが強かったわけです。
そこで大坂の商人が立ち上がりました。「自ら学ぶことで人間力を養成し,知識よりも知恵を学んでいこう」と。自ら生きる道の根拠を,自ら確立しようとしたというのが大坂の先人のポジションとして見て取れます。
石田梅岩は京都・亀岡の農家の次男です。11歳のときに京都の商店に丁稚に入り,ちゃんとした教育は受けていませんが,丁稚奉公しながら寸暇を惜しんで勉強しました。神道,仏教,それから儒学も。勉強を独学でやりながら,40すぎにある種の境地に達し,自宅で講舎,つまり塾を始めました。
石田梅岩の言葉を見ると,本当にいいことを言っています。「士農工商ともに天の一物なり。天に二つの道あらんや」。それぞれの職業は社会に奉仕するという意味で同じ,貴賎の別はなく平等なんだと。「真の商人は先も立ち,われも立つことを思うなり」。他人の利益と自分の利益が調和するところに商いの道があるというのは,これまた,まさにその通りです。
石田梅岩が亡くなった後,弟子がこれを広め,最盛期には全国に300ぐらいの心学の講舎があったといいます。
全く同じ時期に,5人の大坂の富裕商人によって「懐徳堂」が開かれました。本格的な学問塾です。哲学,医学,物理学,天文学,法律,経済と,当時世界的に見ても第一級の学問所であったと言われ,中井竹山,山片蟠桃ら,そうそうたる学者が生まれています。
石田梅岩は実践から叩き上げた生活哲学,懐徳堂は本格的な学問,当時は結構論争もしたようですが,今から見ると相通ずるものがあります。「商人の利は士の知行,農の作徳なり」。等しく社会に奉仕し,平等だということをここでも言っています。
さらに,懐徳堂の標語「人の大切なる宝は,一心の善に在りと知るべし」。人の一番突き詰めたときの宝というのは,一心の善をなしたかどうかということ,この言葉はなかなか重いと思います。
商家の家訓,家憲にはこれが生きていて「先義後利」(大文字屋),「徳義は本なり」(茂木家),「三方良し」(近江商人)を見れば,そこには石門心学や懐徳堂で考えたことが社会の基本的な考えになったということが分かります。
私は,大坂の商人道というのは,人が喜んでくれる,人が感動してくれる,そこでビジネスが成立するのだと解釈できると思っていました。面白いことにスティーブ・ジョブズが同じことを言っています。
マックス・ウェーバーは名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で「資本主義の発展のバックボーンとしてプロテスタンティズムがあり,このプロテスタンティズムと資本主義を体現する最も象徴的な人がベンジャミン・フランクリンだ」と言っています。フランクリンは,懐徳堂や石門心学と同じ時代に,同じように「勤勉であれ,社会参加しろ」ということを言っています。なぜ同じ時代の人たちが同じことを考えたのかは分かりませんが,洋の東西,時を同じくして似たような形で実は資本主義の原点が始まりました。
ロータリークラブをつくったポール・ハリスもプロテスタントです。ピーター・ドラッカーも似たようなことを言っているので,精神的基軸,その底辺に流れるものにある種の共通のものを私は感じました。
日本では,緒方洪庵が「適塾」を開きます。ここから福沢諭吉や佐野常民ら,近代日本を支えた俊秀が育っていきますが,緒方洪庵も似たようなことを言っています。「医の世に生活するは人の為のみ,おのれがためにあらず,ただおのれをすてて人を救わん」と。
産業においてもそうです。松下幸之助をはじめ,大大阪時代に企業を始めた人々は,やはり公益性―企業も成立し,社会の公益とも相両立するということを言っています。学問の世界にしろ,企業の世界にしろ,大阪に脈々と流れるこの精神的伝統は非常に有意義ではないだろうかと私自身感じた次第です。
(スライドとともに)