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2014年10月31日(金)第4,508回 例会

エンジョイスポーツ

ヨーコ・ゼッターランド 氏

スポーツ・キャスター ヨーコ・ゼッターランド 

1969年生まれ。米カリフォルニア州サンフランシスコ市出身。バレーボール・アメリカ代表としてバルセロナ,アトランタ両オリンピック出場。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事。現在,嘉悦大学女子バレー部監督。

 皆さま,こんにちは。ただでさえ身長が高いのに,ますます高い所から失礼いたします―。こう言うと大体,入りで笑いが取れます。関東出身の者としては,なかなか笑いのタイミングを逃すことが多いのですけども…。

絶対やらないはずが…

 1964年の東京オリンピックで「東洋の魔女」のキャプテンとして日本女子バレーボール史上初の金メダルという大活躍をされ,昨年亡くなられた河西昌枝さん,その存在がなければ私は多分バレーボールを始めることはなかったと思います。

 私は6 歳で日本に移り住み,全く日本語を話すことができず「自分の存在意義」をなかなか探し出すことができませんでした。

 実はバレーボールは本当に嫌いでした。私の母が河西さんと同い年で,戦後,まだ日本が国際大会に出ていくことが非常に難しかった時代に,世界選手権でブラジルまで遠征して一緒にプレーするなど,いろんなご縁があって,長い間親しくおつき合いをさせていただいていました。

 その母や河西さんや,昔の仲間が毎月1回,バレーボールをやっていました。私は母の楽しそうな姿を見て,バレーボールに嫉妬を覚えました。一人っ子ですから姉妹との親の取り合いではなく,ライバルがバレーボールだったのです。

 小学5 年生の時,体育館の隅の方でお絵描きしながら見ていたら「人数足りないから入ってくれない?ルール分からなくてもいいし,怖かったらよけてもいいから」と言われたんです。運動神経の良さは自負しているのに「よける」と言われて悔しくなりました。「来たボールはどんな形でもいいから拾ってやろう!」

 怖いもの知らずというのはそういうことなのかなと思います。きっと私を気にしながらボールを送ってくれたと思うのですが,私にボールをつないだのが河西さん,最後に決めたのが日本でもトップ選手だった男性。金メダリストですから,私がどんなにヘナヘナなボールを返しても,きれいに返ったように見せてくださるんです。勘違いした私は「こうやってボールが返せるんだったら,バレーボールができるかもしれない」と思いました。

自分の意思で決めた道

 「じゃ,初めてプレーをしてくれたから,ちゃんと自己紹介してね」と言われ「隣に座っている河西さんのおばちゃんのように,私も日本代表になって金メダルを取りたいと思います」と誓いました。母は仰天ですよね。3時間ぐらい前までは絶対にバレーボールはやらないと言っていた娘がオリンピックを目指すと言うのですから。

 母自身,団体競技の良さも難しさも知っていただけに心配したようですが,私はとにかく「楽しい」,初めて自分の意思で「これをやりたい」と思えたことが,何よりの自信になりました。

 その後,日本代表を目指していく中で,自分で決めた進路の先には残念ながら日本代表はありませんでした。私が選んだ進学の道は,オリンピックのトップアスリートを養成していく道とは異なる場所にありました。

 ただ,やはりオリンピックを諦めることはできないという気持ちがだんだん強くなり,ちょうど22歳のときに国籍を日本かアメリカかを選択する時期になりました。スポーツを続けられるか,続けられないか,オリンピックに出るチャンスが得られるか,得られないかという選択肢に広がっていきました。

 せっかく自分に与えられた選択肢です。「日本でやってきたのにアメリカに行くの?」と言われたこともありましたが,応援してくださる方の声の方が大きく,それに後押しされる形でアメリカのチームにチャレンジしてオリンピックに2 回出場,メダルのあった大会(バルセロナ=銅)となかった大会(アトランタ)を経験しました。

人生のほんの一部

 それまで慣れ親しんできた環境から離れ,なじみのないアメリカでは,迷うこともあります。思い詰めた表情をしていたら,監督がやって来て「どうしたの」と声を掛けてくれました。でも自分の悩みを監督に言ってしまったら,監督の考えに影響するんじゃないかと考えて,なかなか言えませんでした。

 その気持ちを察してかは分かりませんが,監督が私に言った一言が“It’s just a part ofyour life.”でした。

 勝つという目標をチームとして掲げたら,完全にプロフェッショナルに徹して,そこを目指していく。ナショナルチームであればそれぐらいのレベルは当然です。ただ「バレーボールは人生のほんの一部だよ」と言われた時に,見方を変えることが技術が伸びることにもつながるのではないかと思いました。「選手をやっていけるのは十数年。人生のほんの一部と考えたら,そんなに深く悩むことじゃない。だけどわずかな時間だからこそ,そこに百パーセントの力を注ぎ込んで,後の人生を豊かにしてくれるものを見出していくということが大事なんじゃないの」,そう言われて,真剣な中にも少し遊び心があるぐらいの余裕を持てるようになりたいと考えるようになりました。

 2020年東京オリンピック・パラリンピックが近づいています。運動をしなければ,健康にならなければ,いろいろな「ねばならぬ」ではなくて,スポーツを見て支えよう,スポーツを見て楽しもう,スポーツをして楽しもうと考えて,もっと気楽にスポーツに親しむ方々が増えることを,そしてスポーツがたくさんの方の幸福度を上げてくれるようなオリンピック・パラリンピックを迎えられたらと思っています。