1949年,姫路市保城町に生まれ,育つ。’72年,芝浦工業大学工学部建築工学科卒業,鹿島建設(株)入社。入社後,数多くの建築現場の施工を担当。5年前の2009年から姫路城の本工事に関わる。
姫路城の大天守の保存修理工事は50年に一度です。私は姫路城の近くで育ち,小・中学校のころ,「やっているな」と見ていました。現在のお城は1601~1609年に造営され,400年以上保存されてきました。1956~1964年に行われた「昭和の大修理」から約50年,今回は「平成の保存修理」になります。
今残っている姫路城は内堀の一角ですが,もともとの外堀は姫路駅前にあったらしい。中堀を埋めて2 号線にしています。築城時はかなり大規模だったみたいです。
昭和の大修理は,南面の三の丸から200メートルの桟橋を設置し,丸太の素屋根を組んでやりました。今回はお客さんを通しながらですので,東側から攻めている形です。
工事には,いろいろ縛りがあります。
文化財保護のため,建造物,地盤等の破損・変形が禁止されています。測量のとき地面に釘を打ち込み,「始末書を書け」と怒られました。
工事は必ず火を使うような作業が出ますが,消防法により火気が一切使えない。
世界遺産なので,ヴェニス憲章で形状とか材料,工法を変更しては駄目だという規定があります。やむを得ない変更は,文科省の許可を取ってやっています。
工事用の素屋根,仮設構台を建設し,屋根の葺き替え,漆喰塗りを中心とした修理を行いました。構造的な検証をしながら,補強も行いました。
瓦は,大天守だけで約8万枚あります。契約上は9,000枚の取り替えだったのですが,実際は1万6,000枚,約2割を取り替えています。
大天守だけで50種類の瓦が使われています。基本的な瓦は「平瓦」と「丸瓦」です。皆さんご存知の民家の瓦は,これがくっついて一体になっています。軒先の先端の瓦は「滴水瓦」といい,水が垂れてきたときに先端で切れる形になっています。
鬼瓦は,実は姫路城には「鬼」の入った瓦は一切ありません。てっぺんの鯱の下にある瓦は「火除けのまじない」で,波のところで泳いでいるイメージです。古い現物と原寸図とを見ながらつくっています。
鯱もやはり現物と原寸図を見ながらつくっています。今回はジョイントを少し下へ,下げています。上に尾が載っかってきますので,割れやすいため下げています。築城時の記録は残っていなくて,昭和の大改修のときにかなり調べてこの型でつくったということで,今回も同じものをつくっています。
スタートしたとき,瓦がかなりずれていて,昭和の大修理をやったときの最後の棟梁に聞くと「釘が届いていない」。ということで,今回は桟を組んで,瓦を全部釘で留めました。これによって屋根の重量が60トンほど減っています。
次に漆喰ですが,主な材料は消石灰,貝灰,スサ,角又(つのまた)です。消石灰と貝灰は同じ成分で,基本的に貝殻をつぶして,ひび割れ防止という意味合いもあり,混ぜている。今これをつくっている会社は日本で2 社ぐらいです。
スサというのはひび割れ防止のために入れるものです。今ではガラス繊維のクロスメッシュなどを入れますが,あくまで昔のやり方で,コーヒー豆を輸入したときの袋を粉砕して再利用しています。角又は海藻ですが,北海道の銀杏草という海藻を炊いて糊にします。北海道の方が,「味噌汁に入れて食べたことがある」と言っていました。
土壁の基本的な形ですが,下地の小舞(こまい)は,木の枝で組んでいます。民家では竹を使っているところがありますが,木です。次に荒壁土を四層,斑(むら)直しという土を二層,中塗り土を一層,そしてやっと漆喰を塗ります。なぜ工期がかかるかと言うと,やはり土の乾燥です。昔の民家では「1回塗ったら1年間ほったらかして,割れるまで待とう」というやり方をとっていたみたいですが,今回は1回塗った後,11カ月ぐらい空け,割れるだけ割って次の仕事に入っています。
漆喰は先ほどの材料以外に,昭和のときに砂を混ぜたりして強度を持たせ,今回は昭和にならっています。糊をつくるのに火が使えないので,大きな電気釜でつくりました。
土壁の土は,使う1年前ぐらいからワラを補給しながら発酵させ,1年過ぎてから使います。土壁の下地を組み,土を団子状にして押し込んで荒壁土が終わります。次の斑直しを塗るときに,落下防止のために30センチ以上の長さのあるワラを挟み込みます。木のところは,下地に木ずりをつくって釘で打ちつけ,ここへ漆喰を塗ります。
屋根瓦の目地漆喰は,姫路城の一番の特徴です。まず墨だしをして,吸水防止剤を塗り,下塗り(腹詰め)をやります。次に中塗り,そして最終の仕上げです。仕上がりますと,見る角度によって全体が真っ白に見えます。
次に木部ですが,本来はすべて取り替えたほうがいいのですが,悪いところだけ直しています。土戸も,全部替えれば見た目はきれいですけど,悪いところだけ直しています。床も悪いところだけ直しています。和製の釘をつくり,留めています。
一番てっぺんの6階の部分に当たる天守を解体しますと,窓を入れようとした溝が切ってありました。
実は1605年に南海トラフの大地震が起きていまして,急遽,壁にした方が耐震的に強いんじゃないか,と感覚でわかっていたのでしょうね。ということで,壁にしています。
以上です。どうもありがとうございました。
(DVDを視聴後,スライドとともに)