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2014年9月26日(金)第4,503回 例会

世界の指揮台に立って ~ウィーン,その先へ

佐 渡    裕 氏

指揮者 佐 渡    裕 

1984年京都市立芸術大学を卒業。故レナード・バーンスタイン,小澤征爾らに師事。’89年ブザンソン指揮者コンクール,’95年第1回バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクール優勝。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団など一流オーケストラを毎年多数指揮。現在国内では兵庫県立芸術文化センター芸術監督。2015年9月よりウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団音楽監督に就任。

 小学校6年生の卒業文集で「大人になったら何になりたいか」というのがあって「ベルリン・フィルの指揮者になりたい」と書きました。母親が音楽をやっていて,家でピアノや歌を教えていましたから,ピアノの前で鍵盤をたたいて「これがド,これがソ」と教えられて,それが当たり前のように育ちました。

フルートから指揮者へ

 ですが,なかなか指揮者になる方法は見つかりません。相談した人は「大変やな,難しいぞ」という答えしかくれません。縦笛が得意だったこともあってフルートを専門に選び,堀川高校,京都市立芸術大学はフルートで進みますが,指揮者をしたいという気持ちは抑えきれませんでした。

 さっき歌を指導された蔵田先生は,僕の京都芸大の先生です。僕がフルートはあんまりやらずに指揮をすることに対して学校側から反対があったんですが,蔵田先生は,唯一「いや,佐渡は指揮をすべきだ」と押してくださいました。

 最初の指揮の仕事は京都のママさんコーラスでした。それと高校の吹奏楽部のコーチ。僕にとっては音楽をしていく上での幸福の原点が,ここで出来上がったように思います。 子どものころから嫌々ながらもピアノを続け,少年合唱団で歌い,中学校の吹奏楽部ではフルートでいい音を鳴らそうと努力しました。考えてみたら,合唱を知っていて,歌を歌うことを知っている。初めて楽器を持つ人の喜び,努力をして皆で音を作っていくことを知っている。それが指揮をする上では非常に重要なんです。指揮を専門に勉強する項目が,小さいころからいろいろな形で身についていたように思います。

 そして大きな転換,人生の中で夢に具体的に向かう年がありました。1987年,アメリカのタングルウッド音楽祭という教育音楽祭のオーディションに通ることができ,小澤征爾さんとレナード・バーンスタインというすばらしい2人に出会いました。

ベルリン, 夢の舞台

 指揮者としてパリのオーケストラに17年間勤め,その間にパリの四つの大きなオーケストラを振りました。ドイツでもメジャーなオーケストラはすべて振りました。うまくいったり,いかなかったりを繰り返し,毎週オーケストラが変わっていきます。さまざまなオーケストラに客演し,それがやっと情報としてベルリン・フィルに入っていくわけです。

 小学校のときに思ったベルリン・フィルの指揮者になるというのは,コンクールに受かった20代後半,パリでもがいていた30代,全く遠い夢でした。ベルリン・フィルというのはとてつもなくレベルの高いオーケストラです。その中に行けるとはまったく思えない,自信のない,あるいは毎日が不安な,そんな時を過ごしていたように思います。

 40歳を過ぎたころに突然ベルリン・フィルから電話がかかってきました。「一晩だけ考えさせてほしい」と言って電話を切り,翌日「やります」という返事を用意して電話を待っていましたが,残念ながらその演奏会は流れてしまいます。3 年後にもまたありましたが,これも流れてしまいます。

 そして,50歳を迎えたちょうど誕生日の週に,このベルリン・フィルの指揮台に立つことになります。武満徹さんの曲とショスタコービッチの交響曲第5 番をやりました。お客さんは総立ちで,オーケストラがいなくなっても拍手がやまず,僕1 人ステージに立って拍手をいただくという夢のような体験をすることができました。

 でも2000ccの車を運転していた僕が,突然6000ccの車を運転するようなものでした。今まで聞いたことのない音圧,今まで聞いたことのないスピード感。どこまでアクセルを踏んでいいか分からないが,ベルリン・フィルはついてくる。これが正直な自分の感想です。もう1回振ってみたい。はっきり今もそう思います。

子どもたちと夢を

 次の世代に何を残すか,このことも非常に大事にしています。兵庫でスーパーキッズ・オーケストラというのを作っていて,小学3年生から高校生までの子と僕が一緒に音を作り,夏には東北に音を届けにいきます。多くの犠牲者のために演奏した釜石の海,たくさんの犠牲者が祭られている大槌町のお寺…。こうした場所で演奏会をして,本当に毎年来ることを楽しみにしてくださっています。今は,町を挙げての文化祭のようになりました。

 子どもたちと向き合う,これは鏡のようなものです。僕自身に夢がなくて,子どもたちに夢を持てとは絶対語れません。僕が一所懸命やれば子どもたちも一所懸命やってくれる。ここは本当に向き合っている,それがすごく大事なことだと,このオーケストラを指揮しながら学びました。

 来年から,ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督に就任します。これは今までやってきたこととはまったく違う大きさの仕事です。夏の音楽祭の野外コンサートには2 千人ぐらいが入り,コンサートはヨーロッパ中に中継されます。そういう意味では何万人と呼ぶことができる舞台です。

 ベルリン・フィルを振って自分の夢が終わってしまったわけではなく,来年からのウィーンでのことに自分自身がわくわくしています。ウィーンで忙しくなっても,子どもたちと作っていくこと,次の世代に何かを残していくということも続けていきたいと思います。

(スライドとともに)