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2016年4月8日(金)第4,576回 例会

梶田さんのノーベル賞とニュートリノ

髙 杉  英 一 君

会 員 髙 杉  英 一 

1945年生まれ。’68年大阪大学理学部卒業。東京大学大学院修士。メリーランド大学院Ph.D。オハイオ州立大学,テキサス大学,オレゴン大学研究員。’80年大阪大学助手,’89年同教授。2007年理事・副学長。’11年退職。大阪大学名誉教授・京都産業大学益川塾教授。専門は素粒子論。当クラブ入会’08年1月。’12年副S.A.A.,’14年青少年奉仕委員長・理事。米山功労者・PHF(ポールハリスフェロー)。

 ニュートリノに関しては,4~5年前に一度お話ししました。そのときは,小柴(昌俊)さんのことで,戸塚(洋二)さんが非常にいい仕事をしたけれど亡くなり,ノーベル賞を1つ損したというお話でした。

ニュートリノと陽子崩壊

 1980年は,ニュートリノ元年といわれています。この年に多くの研究者がニュートリノ研究に参入しました。’70年代後半に大統一理論ができました。陽子は崩壊する,ニュートリノは質量を持つと予言され,さまざまな実験が計画されました。

 私は,’80年に大阪大学に採用されました。当時わかっていたのは,ニュートリノには電子型,ミュー型,タウ型の3種類があるということ。このニュートリノに質量があれば,ニュートリノ振動が起こる。これは,例えば電子型が飛んでいると,途中で一部がミュー型に変わり,そのミュー型に変わったのがまた電子型に戻るという,行ったり来たりすることを「振動」と言います。

 梶田(隆章)さんのノーベル賞受賞は,このニュートリノ振動を確認できたからです。

 少し戻ります。陽子崩壊について。原子は原子核と電子から,原子核は陽子と中性子からできています。中性子は陽子より少し重く,力の働きで陽子に崩壊します。そのとき,電子やニュートリノを出す。これをベータ崩壊と言います。

 陽子は,軽いので壊れないものだと思われていました。それが壊れるという。観測しようとなります。陽子の半減期は当時,10の32乗年といわれていました。宇宙年齢は138億年。10の10乗年で,陽子の半減期は,非常に長い時間になります。

 そして,何を確認するのか。典型的な陽子崩壊は,陽子がパイ中間子と陽電子に分かれます。中性のパイ中間子はすぐ,2つのガンマになります。ガンマは高エネルギーの光です。陽電子もすぐ,電子と衝突して光を出す。要するに,(陽子崩壊で)光が出ます。

 光を観測できて,そのエネルギーを足すと陽子になる。それが陽子の崩壊の証拠です。かかるのは10の32乗年。これは,たっぷりと陽子があれば,その中の1個か2個かが壊れるだろうと(解決できた)。

カミオカンデの秘策

 (材料として)一番いいのは水です。安価だし透明。ですから,水をたっぷり用意し,光を観測する光電子増倍管をつけることになりました。

 小柴さんは,’79年末にカミオカンデを構想します。予算が要る。小柴さんは東大の寮にいて,仲間が多くいました。その1人が大蔵省にいた。直接取引してお金を取ってきたら,東大はカンカンに怒りました。そんなお金に,いろんな研究費から集めて計約10億円。これで実験をした。

 岐阜県の神岡鉱山地下1,000メートルに,3,000トンの水のタンクを建設した。周りに目玉となる光電子増倍管を1,000本つけた装置をつくりました。

 小柴さんには秘策がありました。同じようなことをする米国のグループに比べ,小柴さんの予算は半分。そこで小柴さんは,光電子増倍管を普通8インチのものに対して,20インチのものをつくろうとした。面積が大きいと,光をたくさん集め,感度がいい。値段も8インチに比べてそんなに高くない。小柴さんがメーカーを一生懸命に口説いて,やっと作ってくれることになりました。

 しかし,結局,この水の量では陽子崩壊の確認に足りなかった。陽子の半減期は予想よりずっと長かったのです。そこで,ニュートリノの観測に転換を図りました。

 性能をアップし,’87年に改修が終了。その1カ月後に超新星爆発が起こりました。そして,ニュートリノが見つかった。

 条件がそろわないと,(発見)できなかったと思います。超新星爆発が遠くないところで起こる。見つけられる感度のある観測機が動いている。さらにいえば,すべてが起きたのは小柴さんが退官する1カ月前でした。

 司馬遼太郎の小説に,「英雄とはその個人の資質よりも劇的状況のもとで劇的役割を演ずるものをいう」とあります。小柴さんもその意味で,英雄ではないかと思います。

そしてノーベル賞へ

 ニュートリノは超新星や太陽によるものだけではありません。宇宙線―主に陽子―が大気にぶつかると,粒子を発生させ,そこにニュートリノがたくさんあります。

 梶田さんはそのニュートリノを解析しました。カミオカンデのデータ解析で,ミュー型が予想より少なかった。’88年に論文にします。これがノーベル賞につながります。

 カミオカンデの超新星爆発観測で,お金がつきます。スーパーカミオカンデの建設が始まった。戸塚さんのつくった装置は,5万トンの水で光電子増倍管が1万1,000本。そして戸塚さんの弟子の梶田さんの登場です。

 梶田さんは,自分が見つけた大気ニュートリノの異常を,できたばかりのスーパーカミオカンデで実験しました。そのデータは,ニュートリノ振動の発見となり,ノーベル賞の受賞につながりました。

 最後に,私はニュートリノに関与してきて,ノーベル賞受賞に遭遇できたのは大変ラッキーだったと思います。でもこれは’80年の確認なのです。理論の予言について,実験中のものもあり,証明されれば,またノーベル賞が期待されます。長生きして見届けたいと思っています。

(スライドとともに)