1955年生まれ。’78年東京大学文学部卒業,同年サントリーに入社。現在,エコ戦略部チーフスペシャリストとして,全国8,000ヘクタールの「天然水の森」を舞台に研究・整備活動を推進している。著書に「水を守りに,森へ」(筑摩選書),「オオカミがいないと,なぜウサギが滅びるのか」(集英社),「ゴチソウ山」(角川春樹事務所)など多数。九州大学大学院工学研究院・附属循環型社会システム工学研究センター客員教授,公益法人日本鳥類保護連盟理事,公益法人山階鳥類研究所理事,日本ペンクラブ会員。
サントリーは,すごく地下水に頼っています。いい水がないと,ビールはおいしくない。清涼飲料もつくれません。良質な天然水は社の生命線です。その地下水の持続可能性を守ろうと企画を始めたのが2000年ぐらいで,「天然水の森」と名づけました。
地下水を育む力の大きい森を目指して森林整備をしています。’03年に阿蘇からスタート。全国で8,000ヘクタールになります。目標は,’20年までに1万2,000ヘクタールです。
この活動の重要な部分は,ボランティア活動ではないことです。われわれの事業活動の生命線である水の持続可能性を支えるための事業と位置づけています。ですから,当然,品質目標も数字目標も必要になります。
品質目標では,水源涵養林として高い機能を持った森,洪水と土砂災害に強い森,CO2吸収力の高い森を目指しています。
地下水はどうやって涵養されるのか。森の表面に数センチから1メートルの厚さのふかふかの森林土壌があります。空間がスポンジみたいになっていて,1メートルの厚みがあると,500ミリの雨が降っても,そこに沈んでしまいます。
この一時的な保水力は重要で,さらに沈むと,岩盤の上で第一帯水層になります。これが浅い井戸水。この水位が渓流の水位にだいたい一致します。
いい森があれば,大雨が降っても水は濁りません。水が表面を走ってこないからです。増水はしますが,出てくるのは雨が押し出した古い地下水。われわれは,その下の岩盤の中を浸み通ってきた第二帯水層の水を使っています。工場にたどり着くのに平均20年から30年はかかっている水です。
地下水涵養のカギは,実は健全な森林土壌なんです。
土壌を守るため,深層崩壊を防ぐのはなかなか難しい。一方,表層崩壊は植物によって防ぐことができます。ただ植物は根の形がさまざまで,多様性が重要になります。
崩壊の前段階では,表層土壌の流失が起きます。直接的な原因は,地面を覆う下層植生,草とか低木が失われることです。
ほかには,手入れ不足の人工林。放置の結果,地面に光が入らず,下生えがなくなり,土は流されます。また,鹿の採食圧で林床植生が消滅することもあります。鹿は植物ならなんでも食べます。その鹿が,日本には500万頭いると言われています。
照葉樹林化で林床植生が消滅することもあります。もともと常緑樹の森を植え替えたために,草とか低木が滅びるのです。
土を育むシステムは,森の木々がもたらす落ち葉に加え,菌類,バクテリアが一緒になってつくり上げます。豊かな土には,豊かな生態系が必要なのです。
植物の多様性を助けているのが,動物の存在でもあります。多様な生き物が豊かな土壌を育み,豊かな土壌はより多様な生き物を育て,豊かな土壌は豊かで清浄な地下水を育んでくれます。
天然水の森づくりのためには,緻密な調査を行います。砂防,土壌微生物,鹿問題,河川再生,植物調査。山を維持するには,道づくり,木材の利活用などを行っています。
調査では,レーザー光線をよく使います。谷の形も,葉の形も,木々も,全部きれいに撮れます。中に入れない地形を把握するのに重要です。
また,植生調査と整備計画の立案には,航空写真も有用です。若葉と紅葉の季節に撮りますと,植生が予測できます。予測をもとに実際に山中に入って,調査区を設け,草の芽から巨木まですべてを記録します。そして植生図をつくり,整備計画の立案をします。
代表的な整備例では,放置人工林で間伐,枝打ちをします。成長の悪い針葉樹林はいろいろなものが交じり合っている針広混交林へ誘導します。間伐材の利用も重要で,建材や家具の材料にと利用先もつくっています。
どうしても植樹をしなければならない場合,周辺の森から木の種を採ってきて,苗木に育てて植えるというやり方をしています。
竹林の対策,鹿の食害の対応,マツ枯れやナラ枯れの対策もしています。
実際には,整備できる人がいないと机上の空論になってしまいます。ところが林業低迷で,まず人材育成からスタートです。
人育てには3つの条件があります。
1年中仕事ができる現場がある。将来が描ける収入をどう確保するか。3つ目が重要で,現場までやってきて教えてくれる指導者がいることです。地形も地質も違うよその土地で研修を受けても,技は身につきません。
天然水の森を舞台に,地元に優秀な人材が育ってくれると,実は彼らが周りの森も整備してくれます。その周りの森は実はわれわれの水源なのです。
森があるべき姿に近づくのは,100年かかるかもしれません。ワインもそうです。ブドウの木を植えていい実がなるまで20年。樽で寝かせ,瓶で熟成するのには10年。ですから,30年という歳月は実はサントリーにとってはそんなに長い歳月ではないのです。
(スライドとともに)