1945年生。大阪大学大学院循環器内科学教授,大阪府立成人病センター総長などを歴任。日本学術会議連携会員。国立循環器病研究センター理事。大阪対がん協会会長(理事長)。大阪薬科大学招聘教授。専門分野:循環器内科
当クラブ入会:2004年8月
「日本人の死生観」と言っても誰もわかるわけがないでしょうが,死生観は,それぞれの方が持っているか,いないかのどちらかだと思います。ただ,医療者としては,考えておかなければいけないことはありました。例えば,脳死の臓器移植に対して,各国の受け止め方は違います。それにはきっと死生観の裏打ちがあるのではないかと考えていました。
日本人の平均寿命は男性約80歳,女性86歳で世界最長です。生物の寿命を決めるひとつの指標が心拍数です。マウスは非常に早く1分間で600。ヒトは60~70で,他の生物の心拍数と平均寿命の関係をみると,ヒトの寿命は40~50年になりますが,実際の平均寿命はダントツに伸びています。次に最大寿命ですが,ひとつの指標が「性成熟年齢」です。その2.5倍が最大寿命,すなわち子供が成人し,それを見守って親が亡くなるというのが生物界の共通パターンです。ヒトの性成熟年齢を20歳とすると,大体50歳になります。
もう少し生物学的に説明します。細胞の中の遺伝子に「テロメア」というのがあり,それが細胞分裂するごとに短くなり,最後に磨り減ると,細胞分裂が止まります。ヒトの場合,それが120歳です。従って,いくら頑張っても,ヒトは最大120歳で必ず死にます。ロータリーの会員の平均年齢を聞きますと,そんなに後はないということでしょうか。
人が死を意識するのは,家族や友人の死,自分の病気,あるいは事故などがきっかけでしょう。「いつか自分も…」「そのうち自分も…」となります。また,いつ死ぬのかわからない不安,死に対する恐怖,そして,「死んだらどうなるのか」という不安もあります。これが,今日のテーマの死生観や信仰につながっていくと思います。宗教家の方もおられ,様々な考えがあるでしょうが,あえていろいろと比較して,日本人の死生観はどういうところにあるのか,私見として申し上げます。
ずっと昔にさかのぼり,ギリシャ哲学では死をどう考えたのか。紀元前470年生まれのソクラテスは肉体(ソーマ)と霊魂(プシュケー)に分けました。肉体は魂の入れ物で,大事なのは魂だと言っています。そして,哲学者は,できるだけ肉体的な要因を外して,その霊魂をどういう存在として受けとめるかということをしっかり考えることが哲学の基本だとしています。その大事な概念が2つあります。ひとつは「霊魂不死」。肉体は死ぬが,霊魂は死なない。もうひとつは,霊魂は我々が生まれる前から存在しているという「霊魂先在」。これが紀元前の話です。
皆さんもきっと,死というのは肉体が滅びることとお考えと思います。魂が死なないというのは,「死は肉体と魂が解離する現象である」という捉え方です。ほとんどの世界の古代の人もそのように考えています。中でも印象的なのは,古代エジプト人は,肉体と精霊(生命力)と魂(個性)を分けていることです。
一方,キリスト教は,命は神から授かり,死ねば魂は神のところに戻るという考え方です。遺体に魂が残っているという概念はまずあり得ません。したがって,脳死患者の臓器移植に抵抗が少ないのです。
では日本はどうか。死んでも魂はすぐに肉体から離れないという考え方がベースにあります。そうすると,魂が生界と死界をさまよう期間があります。これが仏教の中陰に相当します。初七日に三途の川に着き,その後,十王の裁きを受けて,四十九日で極楽に行くか地獄に落ちるかが決まります。つまり肉体が朽ちていく期間がある程度必要で,これで初めて肉体から魂が抜けていくという考え方です。西洋とはここが違います。だから,脳死下の臓器移植にかなり抵抗があるのです。
インドのヒンズー教は全く違います。人として死ぬと今度は動物として生き返ってくるという輪廻転生が基本的な考え方で,これだけは非常に特異的です。
さて,日本人についてです。自然崇拝,つまり山,木,岩に霊が宿り,八百万の神,例えば蛇とか狐も神になる。ところが死者は祖神となって,祖先は守護神として神様になっていくという考え方が,日本の原始信仰の基本にあるのではないかと思います。
神道には,教祖,聖典はありません。古事記や日本書紀などの古典を規範にしますが,結論は,森羅万象に神があって,祖霊を祭り,祭祀を重視する。この考え方は縄文時代から始まっています。縄文時代の人たちは,死後も家族単位で生活しています。死体を土葬ではなく,簡易小屋に連れていきます。先ほど申したように,身が朽ちていくのを家族が見守ります。そして,お骨になって比較的身近なところに置かれます。
そうすると,非常に古代エジプト人と似ていて,向こうはナイル川,こちらは三途の川。死体はミイラで保存するのに対し,日本は土に還元,またはお骨を保存する。おもしろいのは,死者への手紙というのが残っていて,ミイラとお話をしていたのです。これは私たちが仏壇・神棚でいろいろお話をするのと共通しているのではないでしょうか。
私はこう思います。実体のない死後の世界は,生者の思考の中に存在する。つまり死後の世界は存在するということです。日本人の死生観は,先祖に見守りを求めています。先祖の人たちは守護神として見守ってほしい。となると,私たち生者は死んだ後も子孫を見守る役目があるのです。皆さん方も,ひょっとしてお亡くなりになった後も結構忙しいのではないかな,というのが私の結論でございます。
(スライドとともに)