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2018年9月14日(金)第4,686回 例会

ほめて育てる
~世界中の人たちを輝かせ業績が上がる教育メソッド~

原   邦 雄 氏

(株)スパイラルアップ
一般財団法人 ほめ育財団
代表
原   邦 雄 

1973年芦屋市生まれ。大阪工業大学を卒業後,船井総合研究所でコンサルタントとして活躍。その後,ラーメンチェーン店に転職し,下積みから店長まで経験。多数の現場で培った経験と,脳科学・心理学をミックスした教育メソッド「ほめ育」を自身で開発し,2011年に(株)スパイラルアップを設立するとともに,一般財団法人「ほめ育財団」を設立。現在では,ほめ育マネジメントの第一人者として,ハーバード大学など世界各地で年間200回以上の講演を行う。「1日1ほめで幸運を引き寄せる 自分をほめる習慣」ほか著書多数。

 私は,今まで7年間で1,500回ぐらい講演をしていますが,本日は夢のような舞台で緊張しています。高いところから僭越ですけれども,「ほめ育」,ほめて育てる教育メソッドをご説明いたします。

現場は「ほめ」を待っている

 私は1年の4分の1は海外におります。オーストラリア,シンガポール,タイ,インド,いろいろなところで講演をさせていただいております。203社に導入されている「ほめ育」。日本郵政グループさんに5年連続導入させていただいております。

 業績を上げるのが目的ですから,業績を上げるためには,社内の人間関係をよくするというのがゴールではありません。やはり世界中の商売というのは──これは先輩,先人に教えていただきましたが,「お客様に喜ばれる,お客様との関係性が一番大事なんだ」ということ。ですから,お客様からほめられることを社内でほめていきましょうということです。

 シュークリーム,ケーキ屋を20店舗営んでいるシンガポールの企業では,現場の人に対して,「どうやったらお客様にもっとほめられるか,喜んでもらえるか」を考え,それを社内の基準にして日報,週報や評価に入れて徹底的にほめます。社内でほめたことが直接お客様に届く,ほめ言葉が店内にあふれると笑顔になりますし,売り上げが上がり,離職がストップします。

 タイは微笑みの国ですが,ほめ合うことで皆さんがすごい笑顔になって,現地社長から「何回言っても動かなかったスタッフが,自ら30分前に来てどんどん自主的に仕事をしています。何が起きたんですかね」とメールが来ました。現場は「ほめる」を待っています。私もサラリーマン時代が長かったんですが,社長からほめられると「よし,やってやろう」と思います。お金とか労働条件じゃなくて,「頼む」「期待する」という言葉だけで1年間頑張れるという人たちはたくさんいます。

しかることも躊躇しないで

 心理学で,人をほめる前に自分をほめることができなければ,自分をほめる程度でしか人をほめることができないという言葉があります。自己肯定感を上げることがまず第1です。

 そして「5つほめて1つしかる」。これが黄金比率です。しかりたければ,5つほめなければいけない。何でもかんでもほめたら甘い組織になりますから業績は上がりません。しっかり「ほめる基準」を見極めるということです。

 それは「しかることを躊躇しない」ということです。ほめ育を学んで,しかることを躊躇してはいけませんよと言います。しかることがなかなかできない,びくびくしているようなマネジャーもいらっしゃいますが,そうじゃなくて,しかるということはもちろん大事だし,愛情があればしかるということも効果につながるんです。しかることに躊躇する人間っていうのは,もしかしたらほめるとか信頼関係,愛情を常に表現してないと思うんです。ですから,黄金律は5対1ですから,常に信頼関係とか,ねぎらいの言葉をかけて,そしてしかるときは本当に躊躇なくしからなければ,この時代,なかなか業績を上げるというのは難しい。ほめる,しかる,ほめきる,しかるということでございます。

 事業計画の中に「ほめ育」を入れると,社内のルールになりますから,給与明細に「ほめシート」という紙が入り,もらった人は「感謝シート」という,場長とか,会社とか,お店に対して感謝シートを書きます。それぞれのシートを「交換する日」をルールとして決めたんです。ルールだから仕方がないなとやり始めますが,それをもらった上司というのはモチベーションがぐっと上がります。ほめ,感謝というエールの交歓をしなければ,仕事への意欲がどんどん枯渇していくと思っております。

子どもたちにバトン渡したい

 「ほめ育」は,私の曽祖父の原澄治,もっと先人の方々から引き継いだ教育です。原澄治が大変影響を受けた石井十次という日本で初めて本格的な孤児院をつくった宮崎県出身の方がいらっしゃいます。当時,明治の後期ですね,1,200人の孤児の生活を守ったと言われています。やはりそういった話を原澄治の書籍,それから私の父からも聞いて,私も社会貢献しないといけないと思って,お金はないんですが財団をつくりました。財団というのはお金があってつくるのですが,私はお金がないままつくりました。財団ではテキストなどいろんな商品がありますが,1円も給料ももらっていませんし,テキスト代の15%は寄付するようにしております。

 大阪で会社を起しまして,今,何とか会社が続いている状況でございます。自分の生まれた経緯とか,役割とか,ラーメン屋の皿洗いに行って,海外にどんどん,どんどん行こうとしているのは,皆さんから教わったこと,先輩,先人から教わったことを引き継いで,そして自分たちの子どもたち,その先にバトンをどんどん渡していきたと思っているからです。父からの遺言で謙虚になれと言われていますから,謙虚な気持ちを忘れずに,親孝行,そして経営者,会社愛,創業者,創業魂に対して感謝の気持ちをもっともっと表現していこうよと,従業員のみなさんにお伝えしているということでございます。

 (スライド・映像とともに)