大阪ロータリークラブ

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2019年8月2日(金)第4,725回 例会

社会のなかのロータリークラブ

佐 野  吉 彦 君(建築設計)

副会長
クラブ奉仕(戦略計画)委員長
佐 野  吉 彦  (建築設計)

1954年神奈川県に生まれ,西宮市に育つ。東京理科大学大学院工学研究科建築学専攻修了,’97年より(株)安井建築設計事務所社長。日本建築士事務所協会連合会会長などを歴任。米国と韓国の建築家協会の名誉フェロー,本年5月に日本建築学会賞を受賞。’97年9月当クラブ入会。’05年幹事,’12年友好委員長・理事,’16年唱歌委員長。PHF/米山準功労者。

 今年度の私の役目は副会長・クラブ奉仕委員長に加え,「戦略計画」つまりクラブのビジョンづくりを担当します。3年後の100周年に向けて大阪ロータリークラブ(RC)の取り組みを考えるいい局面です。未来を考えるには過去から学ぶことが重要です。国際ロータリー(RI)の歴史を私なりに整理してみます。

戦前の歴史

 ロータリー活動は1905年のシカゴで始まりました。シカゴは19世紀後半に全域が火事で焼失しましたが,急速に復興し発展しました。’20年にシカゴを訪れた,大阪RCのチャーターメンバーで大阪ガス社長だった片岡直方さんは都市計画,街づくりに強い影響を受けます。急成長した大阪の都市問題を重ね合わせたのでしょう。
 シカゴは当時,移民などで大きな社会問題を抱えていました。都市の明暗が,多様な人々を結び付けて社会問題の解決のため皆で力を尽くそうというロータリーの取り組みの背景にあると思います。ロータリーが育み今も維持している哲学は「I serve(私が奉仕する)」です。
 ’22年にロータリーはRIになり,’27年には4大奉仕(今は5大奉仕)が定義されます。この時期,第1次世界大戦が苦い教訓となって,国際機構が必要だという機運が生まれ,国際連盟の設立へつながります。’20年代は世界システムへの意欲が高まり,希望のある時代でした。ロータリーも政治の骨組みの外で世界をつなぐことを構想したわけです。
 ’30年代に入ると,世界恐慌,全体主義,共産主義の広がりという状況に,国際連盟の力不足が明らかになります。ロータリーは政治と距離を置いていましたから,国家対立を乗り越えることはできませんでした。
 大阪RCは’40年から’49年までグローバルな骨組みから外れ,自主解散して「金曜会」という形を維持しました。国家とどう折り合いをつけ,地域に根差したあり方を構想するかといった苦心や相克があったと感じます。
 RIも日本のロータリーも,明確な理想や原理,活動基盤は戦前にできましたが,社会への影響力や指導力を持つに至りませんでした。

戦後の活動

 戦後,ロータリーは国連の設立,特にユネスコ設立に貢献しました。しかし,政治と距離を置くロータリーは国連と具体的な関係をつくれていなかったのではないでしょうか。潮目が変わったのが,東西対立が終わった後の’90年代です。
 その前から’62年の「世界社会奉仕プログラムの導入」,’68年スタートの「ローターアクト(RAC)」,ポリオ撲滅「ポリオ・プラス」といった取り組みがあります。ポリオについては,最初の予防注射キャンペーンが’79年,ポリオ・プラス開始は’85年で,2002年にビル・ゲイツの財団と提携したころから成果を出しています。
 1990年以降,市民ネットワークが存在感を増し,民間ネットワークや,民間と国際機関,民間同士の連携で成果を生む時代に変わり,ロータリーの存在感がはっきりしてきます。
 例えばユネスコとの連携や,世界各地の大学と連携したピースセンターがあります。環境や災害のような深刻な事態に向き合うことに,今後ますます期待が集まるでしょう。
 大阪RCはこれまで,80周年の2002年にセーブ・ザ・チルドレンと連携し,アフガニスタンに学校を作ったり,メルボルンRCとの連携で,フィリピンへの飲料設備建設支援をしたりしました。宮古・大阪みおつくし奨学金,昨年の働く女性の支援事業など自発的な試みが生まれています。つながりにくい線をつなぐことによって可能性を探り当てています。

社会に対する責任

 建設的にロータリー活動を続けていくには,やはり社会からの期待や,社会に対する責任が生じます。
 ロータリーの「公共性」を巡るエピソードを紹介します。1977年にロサンゼルス郊外にあるDuarte RCは女性を入会させました。当時女性会員を認めていないRIは規定違反でこのクラブを除外しました。最高裁で争われ,RIは憲法で保障された結社の自由を主張しましたが,ロータリーの社会的な認知が既に高まっているため,女性を除外する理由がないとして,Duarte RCに軍配を上げました。
 これを受けて規定審議会は,’89年に女性の入会を認めました。DuarteRCは,ロータリーの多様性が持つ力の可能性を問い掛け,社会の支持を受けることになりました。
 ロータリーが真に守るべき価値が,小さなクラブのアクションを通じて明らかになったのです。その後,2000年にはLGBTに開かれていると表明します。公共性を備えたロータリーという姿勢が示されたわけです。
 最後に3つのことを申し上げます。1つ目に,われわれは「ロータリーとは何か,クラブはどうあるべきかを問い直すこと」が重要だということです。それは,戦前の大阪RCの葛藤から学ぶことができます。
 2つ目は,「ロータリーは民間ネットワークらしい自発的な取り組みを試みるべきこと」。大阪RC,大阪RACが現在取り組んでいることを振り返ってみれば,その有効性が理解できます。これからのビジョンというのは,その積み重ねを受け継ぐわけです。
 3つ目は「大阪RCはどこよりも公共性を備えた組織であること」です。一人一人が持つ自発性と積極性,倫理性によって,社会にも国際的にも,次世代からも一目置かれるクラブになろうではありませんか。ワンランク上を目指すために何をなすべきでしょうか。闊達(かったつ)な議論をしたいと思います。