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2011年9月2日(金)第4,362回 例会

古都奈良・春日

花山院  弘 匡 氏

春日大社 宮司 花山院  弘 匡 

1962年9月7日生,佐賀県出身。
’85年3月國學院大學文学部神道学科卒業。’87年4月奈良県立富雄高等学校に赴任。’96年4月奈良県立片桐高等学校に転任,’04年4月奈良県立奈良高等学校に転任(地理担当),’08年4月春日大社宮司就任,現在に至る。花山院家は藤原道長の孫で関白師実の二男家忠を祖に11世紀末に創立。五摂家に次ぐ九清華家の一つで急侯爵家。宮司は花山院家の第33代目当主にして,春日大社宮司としては明治以降で第11代目。

 私の名前は「花山院」,「かさんのいん」と読みます。平安中期の「花山院家忠」という人が初代で,33代目になります。初代・家忠の祖父は,十円玉にもあります宇治の平等院をつくった藤原頼通,曽祖父は藤原道長です。春日大社の宮司ですが,数年前までは奈良県の県立高校で教師をしておりました。今回は新世代奉仕月間記念例会で,会場には若者も多くおられます。奈良・春日の歴史とともに,高校教員の経験から新世代の教育についてもお話しさせていただきます。

春日大社,1,300年の歴史

 春日大社は藤原氏の氏神をお祀りし,平城京の守護,国家鎮護の神様でもあります。今でも2,000回近く国家国民の平和と幸せをお祈りしておりますし,3月11日に東日本大震災が起きてからは毎日,震災からの復興をお祭りしております。きょうの朝も,復興祈願の祝詞を奏上して参りました。

 1,300年の歴史がございますので,春日では幾つか「ほぉ」,という話があります。貞和5年(1349)2月10日の祭の記録で『春日若宮臨時祭記』というのがありまして,そこにストーリーと配役が書いてあるんです。これは能の最古の記録と言えます。また,江戸時代の文献には,猿楽の一座を描いている絵の脇に,春日大社の一の鳥居と松が描かれています。この松は「影向松(ようごうのまつ)」と言いまして,「影向」というのは,神様がお姿を現すという意味です。

 今,能舞台には幕がありますが,幕というのは結界,入口です。それが春日大社の一の鳥居なんです。そして,松もある。これは全くもって春日大社の参道を模しているわけです。今度能を見られたとき,後ろの松は春日大社の「影向松」だな,と思って頂いたり,春日へ来られた際は一の鳥居のあたりの参道の風景から能舞台ができたんだなと思っていただけたら,ご参拝頂いたときの楽しみになるかと存じます。

かつては高校の先生でした

 今でこそ,ご先祖様の兼ね合いで春日大社の宮司をしておりますが,以前は奈良県立高校の地理の教員でした。20数年,学力の高いところ,中堅校,勉強がやや苦手なところ,と3校ほど異動してまいりました。

 私が教師になって2~3年目に担任したときの生徒が,様々なことを教えてくれました。その子は精神的にしんどくなって保護観察がかかっていました。私は全身でぶつかりました。その子はテニス好きで,私が「テニスをしよう」と言ったら,「昼間はできない。朝5時からしたい」と言うんで,私とテニス部の顧問と一緒に朝5時からテニスをしました。

 「若草山に行きたい」と言うと,連れて行って,山を見ながら,「小さいことを考えるよりも大きく生きようよ」みたいなことを,まだ教師になってすぐですから,わかったような,わからんようなことを言いました。でも,結局その子はどうしようもなくなって,また2~3カ月で来なくなって。その後,結局退学して,連絡もとれなくなりました。3~4年たち,その子と同姓同名,年齢も一緒の子が「池に落ちて死んだ」と新聞に出ました。それを見たときは何とも言えない,確認はしませんでしたけど,何とも言えない……。

 悲しい経験でしたが,少なくとも人生を楽しく過ごせるような方向に少しでも修正するにはどうすればいいか,ということを,その経験から学びました。

子どもは素直。まず,存在を認める

 子どもは素直です。大人と違ってダブルスタンダードでものを考えません。やんちゃな子もいるし,うそをつく子もいる。親にもうそをつく子は,学校じゅうひっかき回して無茶苦茶大変ですが,そういう子らでも,ちゃんとつながっていると結構いろんなことを言ってくれたりしてわかり合えます。

 大人もそうですが,子どもは「無視される」ということが一番嫌いです。存在感を認めてもらいたい。騒ぐとか,リストカットとかで腕を切ったりするのもそうですけども,やっぱり認めてもらいたいからです。認めて,その中で怒るときは怒らないといけない。「あかんもんはあかん」と言う。その分,ほめたり,楽しいときは一緒に楽しむ。

 「最近は子どもが親を殺す社会になりました。皆さん,こんな社会をどう思いますか。聖職家のように青少年教育しなくてはいけないんじゃないですか」というようなことを言う人もいます。ただ,20数年教師をして,何千人という生徒を見てきた経験から考えると,それは本当は違うかなと思います。

 本来,子どもが大切な保護者,大好きな保護者を殺すはずがない。ということは,子どもが親を殺すにしても何かするというときには,当然ですが,本当は苦しいんです。何か心の中で解決できないものがあって,暴発している。保護者や周囲の大人が,もう少し見てあげたり,認めてあげたりすれば,子どもが進んで親に危害を加えることは,なくなります。子どもの精神的な問題はいろんな原因があると思います。家庭内のいざこざ,例えば,嫁姑の問題ですら子どもに積もっていって,しんどくなるというケースもあります。一番素直で弱い子どもにしわ寄せが来ているだけなんです。

 大人たちが注意深く見ていくことによって,それぞれが持っている長所を認める,伸ばすことからすべては始まります。ただし,甘えさせるのではなく,「だめなものはだめ」ともきちんと教える。そんな積み重ねが,これからは特に子どもが少なくなる時代なので,大切ではないでしょうか。