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2003年6月13日(金)第3,980回 例会

『冷・つ冷づ冷ぐさ』

山田 晴三 君

会 員 山田 晴三

1935年大阪府生まれ'58年同志社大学法学部卒業。現在宝船冷蔵(株)取締役社長のほか、(社)日本冷蔵倉庫協会副会長、近畿冷蔵倉庫協議会会長、大阪府冷蔵倉庫協会会長などを務め、(宗教法人)三津寺檀家総代責任役員。 当クラブ入会 : '87年5月。'89年RAC委員長、 '94年SAA、'98年理事・国際奉仕委員長、'00年理事・友好委員長などを務めていただく。PHF及び米山功労者。

 私の生業は冷蔵倉庫で、現在の保管物の99.9%が食料品です。大正8年に、祖父が大阪西区にレンガ建ての3階建ての冷蔵倉庫を建設しました。昭和10年代、私がガキの頃、あの頃は冷房も何もない。夏はとにかく暑い。家から倉庫が近かったので、私は、近所のガキを連れてよく涼みに行きました。3階建て倉庫には螺旋階段や籠のエレベーターもあり、ジャンギャバンのギャング映画みたいな、格好の遊び場所でした。“冷”というのは考えられなかった時代ですが、そういう意味では、私は生まれたときから“冷”に縁のあった男でございます。

南極~雪と氷の世界~

 それでは、早速“冷たい”話を始めさせていただきます。まずは、「南極」。南極大陸は日本の33倍の大きなもので、大陸上には平均2,450mの氷床が覆っています。氷床は数万年から数十万年前に降った雪が押し固められて氷になったもので、「大昔の大気」の気泡が中に閉じ込められているんです。この古い氷が内陸部から沿岸部へと1年に平均100mぐらいで移動して、最後に氷山となって海に流れ出る。氷山は、海面に出ている部分が3割、沈んでいる部分は7割ぐらいで、「氷山の一角」という言葉の語源だそうです。

 1957年が昭和基地の第1次越冬ですが、この越冬隊の防寒具・靴の耐寒テストを、弊社を使って、いろいろとやりました。私どもが昭和基地に貢献しておったわけです。

 あのキャプテンクックも航海の時、水を確保するために、南極に何度も氷を採りに行った記録が残っています。皆様にお配りしたのは、南氷洋の氷です。今年の4月、第16次調査捕鯨船が持ち帰ったものです。溶けると、プチプチ音がし、気泡から南氷洋の何万年も前のきれいな空気が出てきます。

商業捕鯨を復活させよう

 次に“冷たい”南氷洋にいる鯨の話です。わが国の重要な課題の一つに食料問題があります。現在、日本の食料自給率は30数%と言われています。この数字は深刻です。

 古来、鯨は大和民族の重要な動物性タンパク源でした。「古式捕鯨」と呼ばれる日本独自の捕鯨が日本の沿岸で行われていたわけです。しかし江戸の末期、鯨油を採るアメリカの捕鯨船団が日本近海で大規模な操業を行ったため日本の古式捕鯨は壊滅状態にされてしまった。これを忘れてはいかん。明治に入ると日本は、ノルウェー式捕鯨を行いますが、第二次世界大戦が始まり、各捕鯨会社の捕鯨船は輸送船に徴用され、全ての母船を失います。戦後GHQの指導のもと食料難を解決するため、1946年わが国の南極海の商業捕鯨が復活しました。冷凍鯨肉は、まさに戦後の栄養失調に苦しむ日本国民の食卓を飾ったのです。皆さんもご記憶でしょうが、戦後の食料難は、鯨に助けられたわけです。

 それから、1951年IWC(International Whaling Commission国際捕鯨委員会)に加盟して、世界的な資源管理の流れの中で捕鯨を続行していました。1976年には日水、マルハ、極洋の大手捕鯨3社の大規模な船団捕鯨は中止され30年の幕を閉じ、共同捕鯨の1船団に縮小されました。そしてついに1982年、商業捕鯨は全面禁止。5年後の1987年からは調査捕鯨で採集、今年で16回目を迎えます。

 アメリカ・オーストラリア・ニュージーランドなど主たる反捕鯨国は、漁業国ではなくて、牛肉とか羊肉の輸出国です。輸出戦略上、漁業資源によって食料が確保されたらいかん。捕鯨は国策に合わないわけです。アメリカは、過去には原住民の食料であるバッファローも滅亡させた。なのに今「原住民生存捕鯨」で自国のイヌイット族の捕鯨枠は確保しながら、食料に資する日本の捕鯨は一匹たりともいかんと言う。これは何とも勝手なエゴですわ。とにかく、鯨資源を適正に保ちながら、永続的に捕鯨が続けられるよう管理するのがIWCの趣旨であるのに、鯨を捕らせん機関に変わってしまっているのが問題ではないでしょうか。

 現在、ミンク鯨は増え過ぎて、100万頭が棲息しています。鯨が年間食べるエサの量は、約4億トンで、人間が獲る全世界の漁獲量は9,000万トン。鯨は実に人間の4.4倍の魚を毎年食い荒らしているわけです。鯨の増えすぎは、われわれ魚食民族にとっては一大事であり、一日も早く商業捕鯨を復活し、鯨を間引かんと、大変なことになるんです。

「人体冷凍術」

 アメリカでは、1967年に人体が初めて冷凍されて以来、現在、100人以上の人体が冷凍されています。そしてさらに、なんと1,000人ぐらいの人が末期的な病気やケガをした場合に冷凍されるよう手配されているそうです。人体の冷凍術は、医学界ではいまだ合法的な生命保存手段として承認されておりませんが、昨年亡くなったアメリカ大リーグ最後の4割打者テッドウィリアムスも冷凍保存されています。死の直後から、遺族間で冷凍保存か火葬かで法廷闘争にまで発展し争っていることは、皆さんも記憶に新しいでしょう。

 最後に、冷による「抑制」と「促成」について断片的ですがお話します。まずは、カブトムシ。夏休みになったらよく売れる、高いんですな。カブトムシも冷蔵室で飼育し、半年成長を抑えて、夏休みに合わせて出荷する。これは抑制栽培。テントウムシも同様、冷蔵庫で冬眠させて、翌年花につくアブラムシ退治に使う。郡山の金魚の輸出も今はみな凍眠させて輸出する。チューリップや山椒の木も冷蔵庫で眠らせて、外に出す。これは、だましの春。われわれの身の回りには実に沢山“冷”が活用されているのです。