クラブ定款第5条には、毎週1回の例会開催が義務づけられ、クラブ細則第4条には日時(曜日)も明記されている。
大阪ロータリークラブの例会場は、会場の都合で創立以来90周年までに何度か変わっている。
その後20年間「新大阪ホテル」を例会場とし、昭和47年(1972年)11月の創立50周年式典も同ホテルで開催してきた。
これより先昭和41年(1966年)には、「大阪ロイヤルホテル」が新築完成しており、「新大阪ホテル」が閉鎖されることになったため、1973年8月31日第2517回例会から「ロイヤルホテル」(山楽の間)に移り、現在に至っている。ロイヤルホテルは、平成9年(1997年)4月「リーガ・ロイヤルホテル」に名称変更された。
会場であった新大阪ホテルは、終戦の翌月接収されたが、しばらくは使用が許され、ここで例会を開いていた。しかし、翌年3月には利用することができなくなった。当時の焼け跡で適当な会場を見つけるのは困難であった。そのような時、大丸(百貨店)に1室融通がつくというので会場を移した。しかし食事はどうにもならず各自弁当を持参した。このような状況も、ロータリアンは「書生時代を思い出す」と楽しんだ。その後、食糧事情がやや好転したので、外食券付食事券切符制度とし、大丸で作ってもらうこととなった。だが、現在の立派な午餐会からすると、実に質素なものであった。
当時の会長(昭和20年(1945年)古田俊之助君、21年(1946年)飯島幡司君、22年(1947年)中橋武一君)は、例会継続に大変苦心したが、昭和21年(1946年)11月には大阪ロータリークラブ創立24周年記念祝賀会を開いている。
社会情勢が落ちついてくると、会員の整理が問題となった。そこで、昭和22年度の中橋会長は、会員資格審査委員会を設け、審査の基準からはずれるものには一時退会を要請した。この結果、会員数は一時74名に減少したが、クラブ態勢は持ち直したのである。