京都造形芸術大学 芸術学部 教授
アート・コミュニケーション研究センター
所長

福   のり子 

米国コロンビア大学大学院で美術教育学を学んだ後,ニューヨーク近代美術館(MoMA)で研修員として勤務。1990年代はじめよりインディペンデント・キュレーターとして活躍し,主に現代写真の展覧会を世界各国の美術館で開催。2004年度より京都造形芸術大学にて,対話型鑑賞を体系的に学び実践する,日本の大学では唯一のカリキュラム「アート・コミュニケーション・プロジェクト(ACOP)」を展開。また,鑑賞者の育成および作品と鑑賞者をつなぐファシリテーターの養成を目的とした講座やワークショップを数多く開催。

 昨年,93歳で亡くなった私の父もロータリークラブの会員でした。ひょっとしたら,今日はここのどこかで父が私の話を聞いてくれているんじゃないかな,という気がしています。
ACOPとは
 私の専門は美術教育学で,特に「対話を介した鑑賞教育」をしています。一般的に芸術作品鑑賞というと,「作品にまつわる知識がないと鑑賞できない」とか「鑑賞は黙って一人でするもの」と思われています。これに対し,私は「知識より意識をもって作品を見ることの方が大切」「ほかの人とコミュニケーションしながら作品を見ていこう」と提案してきました。私たちはこれをACOP(エーコップ Art Communication Project)と呼んでいます。
 調査によると,美術館で一つの作品をひとりの人が見る時間は10秒前後です。アーティストが精魂込めてつくった,すばらしい作品なのに,もったいない。でも,多くの人は「芸術は難しい」と敬遠します。その理由の一つは「知識がないから」でしょう。
 知識について少しお話しします。例えばこのミロのビーナス。白い大理石の,美しい肌の彫刻だと思っておられるかもしれませんが,実は,ギリシャ彫刻は極彩色でした。地中から掘り出した専門家たちが汚れをきれいに拭いていたら,白い肌が出てきたので,色彩も残っていたはずなのに,磨いて白くしてしまったのです。そして,私たちは白いものだと思い込んだのです。何が言いたいのかと言うと,専門家も間違えるし,美術史も不変ではないということ。だから,知識だけに注目して見るのは少し違うと思うわけです。
 アートが作品と鑑賞者との間のキャッチボールのようなものだとしたら,ピッチャーだけではダメです。キャッチャー,つまり受け手の存在が必要です。私は一人でも多くの方にこのキャッチボールを楽しんでもらおうと,2004年からACOPを始めました。
 ものすごくシンプルです。「見る」「考える」「話す」「聞く」。これだけです。ただ,こうした能力を日常以上に注意を払いながら,意識しながら,使ってみようという試みです。
作品鑑賞でつく力
 作品を鑑賞することで,どんな力がつくのでしょう。これは,ポール・セザンヌの「リンゴとオレンジ」という絵です。多くのアート作品には,なじみのある題材が描かれています。ところが,そこに描かれているすべては理解できません。よく見ると,どこか不可解なところがあります。
 セザンヌはこう言いました。「僕はリンゴ一つでパリ中の人間をアッと言わせてやる」。だから,彼の絵の中には必ず見る人を素通りさせない,何か仕掛けみたいなのがあるはずです。私たちは,まんまとその仕掛けにはまってしまうのかもしれません。「どれがリンゴで,どれがオレンジ?」とか,「何でわざわざ転がり落ちそうなソファーの上にリンゴを置いたの?」とか。優れた芸術作品は,私たちに様々な問いを投げかけてくれます。
 私は学生に「アートとは,そこに存在しない何かをそこに見る行為だ」とよく言います。例えば,このマリー・アントワネットの絵。「きれいな人やな」と思う人もいれば,「豪華な服装やな」と思う人もいるでしょう。
 こちらは弥勒菩薩。これを見て「慈悲深い仏様や」と手を合わせ,頭を下げるようなことを私たちはしますよね。でも,AI(人工知能)はきれいと思わないし,頭も下げません。
 究極的に見れば,絵はキャンバスや絵具の盛り上がりだし,仏像は木のでこぼこにすぎません。なのに,私たちはきれいとか,慈悲深いとか思うのです。私はそれを「創造的解釈」と呼んでいます。
「生きる力」を育む
 1年間ACOPを受けた,ある大学1年生が書いてくれた言葉を紹介します。
 「鑑賞者の言葉は,ある意味,作品よりも生々しく鮮やかだ。同じものを見ても,一人ひとり違う考え,違う表現を持っている。それらを漏れなく聞けるのがナビゲーターの幸せなところ。そして作品の可能性を閉ざさないためにも,鑑賞者の気持ちをくみ取るためにも,自分の器をもっともっと広げていくためにも,自分自身が常に鑑賞者であり続けることが大切なのだ」
 この中にある「鑑賞者」を「生徒」に,「ナビゲーター」を「教師」に置き換えてみます。さらに,今度は「生徒」を「他者」に,「教師」を「自分」に置き換えてみます。
 おもしろいでしょう。「他者」がいつの間にか「自分」になっています。学ぶ人と教える人,あるいは他者と自分の立場というものは,実は固定されたものではないということです。キャッチボールで,投げ手と受け手が交互に代わるように,コミュニケーションでは話し手と聞き手が交互に代わるのです。
 文科省は「自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力」「自らを律しつつ,他人とともに協調し,他人を思いやる心や感動する心」などを「生きる力」と説明し,今後は子どもたちが「生きる力」を育むことが重要だと言っています。ACOPを経験した若者たちは「生きる力」を身につけ,きっとどんな世の中になっても生き延びてくれるだろう,と私は期待しています。
(スライドとともに)


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