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2022年4月15日(金)第4,830回 例会

渋沢栄一と現代

塚 本  隆 史 氏

みずほフィナンシャルグループ
名誉顧問
塚 本  隆 史 

1950年東京生まれ。京都大学法学部卒業,ハーバード大学MBA。’74年(株)第一勧業銀行入行。2002年(株)みずほコーポレート銀行副頭取,(株)みずほフィナンシャルグループ副社長,’09年同社長。’11年同会長兼(株)みずほ銀行頭取,’13年会長。’14年退任後,常任顧問を経て現在みずほフィナンシャルグループ名誉顧問。日英協会理事長,渋沢栄一記念財団評議員など。
(写真:渋沢栄一がデザインされたマスクを着用)

 渋沢栄一が創立した第一国立銀行の系譜を継ぐ第一勧銀に1974年に入りました。渋沢の人物像に触れる機会があり,自然と興味を抱くようになりました。特に2008年のリーマンショックを経験して,改めて渋沢を学び直すという必要性を感じております。昨年の大河ドラマで渋沢が主人公となり,新1万円札の図柄にも採用されてちょっとした渋沢栄一ブームが起きました。たとえブームが去ったとしても,渋沢の生き方を知ることは,先行き不透明な現代に生きる私たちにとって大切なことではないかと考えています。

渋沢が見出した「合本主義」

 渋沢は,わが国の近代産業を作り上げた人物と言われていますが,明治維新を経たばかりの日本に近代産業を根付かせることは一朝一夕にできるものではありません。その前提条件のうち,渋沢が特に力を注いだのが,「国の発展をもたらす仕組みとしての会社」「事業家に資金を提供する金融」「人材の育成」の3点です。
 渋沢は「近代日本資本主義の父」とも言われますが,渋沢自身は「資本主義」という言葉は用いず,「合本(がっぽん)」という聞きなれない言葉を使いました。彼の唱える「合本主義」とは,公益を追求する使命を達成するために最も適する人材と資本を集めて事業を推進することと整理できます。渋沢がなぜ合本主義を重視したのかといいますと,生涯を通じて戦った「官尊民卑」を打破するためだったと考えられます。
 渋沢によれば,1867年に欧州を訪れた際,商工業が合本組織によって非常に発展していること,そして官と民が接触する様子がとても親密であることに驚き,商工業が発達すれば自然に商工業者の地位が上がって官民が接近してくるであろうと考えたと述べています。渋沢は青年時代,藩の役人の居丈高な態度に憤り,官尊民卑の打破を心に誓ったと言われています。日本社会を近代社会にするためには,国家を変化させる主体は「民」だという意識を国民自身に持たせることが不可欠であり,国民から広くお金を集めるとともに,人々の才能や知見についても広く募り,十分に発揮できるオープンな仕組みを導入しなければならないと考え,それを合本と呼んで,その枠組みを見出したと思われます。

「金儲けは卑しい」をマインドリセット

 それでは,合本主義の二つの要素である「人材」と「資本」についてお話しします。まず会社の経営者は,会社の使命や目的をよく理解し,公益を追求する人でなければならないと渋沢は考えていました。事業経営によって利益を上げることは重要ですが,その利益が,投資する多くの人々に行き渡ることが肝心で,事業や利益を独占し,財閥の形成を目的とすることは断固として反対しました。
 当時,有能な経営人材は不足しており,渋沢は一橋大学の前身となる東京高等商業学校の経営に積極的に関与しました。そこで日本経済を支えるビジネスリーダーたちを育て,横浜商業学校や名古屋商業学校では地方中堅中小企業のトップ候補を教育し,さらには女子教育にも力を入れました。これは近代化に求められる分厚い人材層をオープンな形で養成することが重要であることを渋沢がいち早く認識していたからでした。米国の著名な経営学者・ドラッカーは明治期の日本の経済的な躍進は,渋沢の経営思想と行動力によるところが大きかったと高く評価しています。
 そして,事業を興すためには元手となる潤沢な資本が必要となります。渋沢が銀行制度を導入し,第一国立銀行を皮切りに全国に民間銀行を設立したのは,士農工商という身分制度を超えて資本を広く集めることができるからでした。無形の金から有形の富をつくり,それがうまく機能するように資金を援助する。これが銀行の役目であり,合本組織の代表的存在となっていきます。
 明治維新後の日本に残っていた「金儲けは卑しく,商工業者の地位は低い」という封建的な考えを渋沢は払拭していきます。近代産業を日本に根付かせた,このマインドリセットも,渋沢の大きな功績の一つであると考えています。

道徳なくして経済なし

 そして渋沢は,「道徳なくして経済なし」との「道徳経済合一説」を唱えます。「商売はうそをつかずに正直に誠実に行わなければならない」「自己の利益を第一に考えるのではなく,他者の利益を第一としてこそ,結果的に自分も永続的な利益を得ることができる」というのが,その要諦です。
 渋沢は,東京高等商業学校の教壇にも何度か立ったようです。その際,「道徳と経済が一致すると言っても,植物のおしべとめしべが風の力で自然に合するようなわけにはいかない。道徳と経済が一致するには,一致させるその人自身の十分な覚悟と平素の用心がなければならない」と述べています。道徳と経済は一致することを確信した上で努力することの必要性を説いているわけです。
 時代が渋沢を必要としていたことは確かですが,彼が時代の要請,期待に見事に応えることができたのは,若くして欧州に渡り日本を外から見た経験をもとに,日本が近代国家として目指すべきグランドデザインを自ら描き,それを常に見据えていたこと,そして実践にあたっては,道徳を大切にする姿勢を貫いたことによるところが大きいのではないでしょうか。
 渋沢の行動は利害によらず,常に一つの普遍的な価値観の上に立っていたと言うことができます。北極星のように不動の位置で輝く思想を貫いて行動したことが渋沢の存在を永遠にし,また時代を超えて多くの人に敬愛の念とともに語り継がれている理由だと思います。