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2018年9月21日(金)第4,687回 例会

お彼岸に聴く 梵鐘のはなし

福 井  栄 一 氏

上方文化評論家
四條畷学園大学 看護学部
客員教授
福 井  栄 一 

1966年生まれ。日本の歴史・文化・芸能に関する講演を国内外で行い,好評を博す。NHKテレビ「日本人のおなまえ!」,MBSラジオ「ありがとう浜村淳です!」に出演。著書は,『増補版 上方学』(朝日新聞出版),『大阪人の「うまいこと言う」技術』(PHP研究所)など約30冊に及ぶ。剣道2段。

 吹田に生まれまして,大阪府で最も古い北野高校を卒業,日本で2番目に古い京都大学を卒業しました。時あたかもバブル,金融機関が全盛の時代でございましたので,京大生が現在でも多く就職なさっていると伺っている――関西系某S友銀行というところに就職いたしまして,10年ぐらい勤めました。人様の金勘定や資金運用のために1日27時間も働くのは大変であると悟りまして,辞めまして,何の見境もなくというか,人脈もないまま,実績もないまま,上方文化評論家と名乗ってもう20年ぐらいになります。

名句の舞台は?

 中学校の教科書の俳句のページには必ず紹介されていますのが,「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という正岡子規の有名な句であります。秋になりますとニュースなんかでも,時候の挨拶でもよく引用されます。ところが,子規が残しております日記やら周囲の証言によりますと,当初の原稿では,「柿くへば鐘が鳴るなり東大寺」であったと。東大寺のそばの民宿の2階か何かに宿をとったときに作られた句のようで,発表する前になりまして,ご本人が腕組みして考えられたそうです。東大寺っていうのは天平文化の象徴というので,ちょっと秋の寂寥感や,殺伐とした感じと合わないなと。あれこれと鉛筆なめなめお考えになりまして,東大寺を消して法隆寺にしますと,アルカイックな空気がピタッとはまって,名句として人口に膾炙していると,そういう句らしいんです。

 職業柄よく法隆寺や東大寺にお客様をお連れして歩いたりするんですけれど,必ず1組や2組はいてはります,わけ知り顔のおじさんとかおばさんが。ちょっと上から目線で自慢げに,「きっとこの柿の木のあたりで子規が例の句を詠んだんや。やっぱり法隆寺の鐘の音を聞いたら秋っていう感じするわ」とか言うてはるんですけど,本当は今申し上げたように東大寺の鐘なんで,喧嘩になってはいけないんで黙って通り過ぎる,ということがございます。

 俳句と言えばパイオニアの松尾芭蕉にももちろん鐘についての句がありまして,「花の雲鐘は上野か浅草か」が有名です。芭蕉がお花見に行かれると折しも寺の鐘がボーンと聞こえてきたので,あれが上野からか浅草からか,という心の動きを句にしたものですけど,大学の先生というのは,おもしろいというか,変わった人もおられて,昔国文学者が書かれた論文がございますが,芭蕉はこれをどこで詠んだのかを東京の古地図を見て割り出すというので,実験されまして,上野の寛永寺でゴーンと鐘を鳴らして,浅草の浅草寺でゴーンと鐘を鳴らすと,二つの円が交わるところがあって,ここやと。このあたりで芭蕉が生きていた時代にお花見の箇所があるかを調べて,この句が詠まれたのは,恐らく何区の何とかという公園のあたりじゃないかというので論文を書かれまして。ご本人からすると大発見をされたみたいに思われているんですけれど,俳人ですから,想像上,イメージの世界でお作りになったのかもしれないから,現実にどこかというのを突きとめて,ここやと決めるというのはあまり美しい営みとも思えないので,私はちょっと「えっ」と思いながら論文集を置いた記憶がございます。

社会や文化で様々な役割

 ともあれ,この鐘といいますのは,日本の社会や文化の中では様々な役割を果たしておりまして,例えば津波が来たとかいって鐘を鳴らして人々に知らせる文字通りの「警鐘」の意味もありますし,落語の時そばじゃないですけど,時を告げる「時鐘」,それからちょっと物騒ですけど,戦争のときに味方に知らせる「陣鐘」とか,色々な局面で使われることがあります。きょうのご出席者の平均年齢からすると多分記憶して頂いているかと思いますが,かつて普通郵便切手も鐘だったの覚えておられますか。60円切手。1980(昭和55)年に発行されて,皆様方の会社でもお使いになっていたと思います。この60円切手に使われていた鐘は,想像上の鐘じゃないわけで,宇治平等院国宝の鐘です。ここでまた注意が必要なんですけれど,今,宇治平等院の釣鐘堂にかかっている鐘は1972(昭和47)年に本物そっくりに造られたものです。本物の鐘は500円か800円払わないと入れない宝物館に大事に飾ってありまして,吹きさらしの堂にはレプリカがかかっております。

大阪名物の「釣鐘」

 もう時間もありませんが,地元大阪の四天王寺さんの鐘の話だけお話し申し上げて閉じようと思います。四天王寺さんの大鐘について語ると,残念ながら全部過去形なんです。1903(明治36)年に当時東洋一と騒がれた大鐘が四天王寺さんで鋳造されまして,世間の人たちの度肝を抜きました。どれぐらいの大きさであったかと言いますと,鐘の直径が約5m,高さが8mぐらいで,重さが160tぐらいあるという東洋一の大鐘で,当時朝日新聞はじめ軒並み新聞に紹介されまして,大阪じゅうの人がお祭り騒ぎで,エキサイトしてたくさんのお参りの方が詰めかけられました。きょうびでも一緒ですけど,社会的に沸騰しますとすぐ関連グッズというのができるんですが,実は四天王寺さんの鐘を型取って和菓子が作られまして,皆さん方ときどきお食べになりませんか,デパ地下では売ってるんですけど,「釣鐘まんじゅう」。外側がカステラで中にあんこが入っているというのが,いまだに大阪名物になっております。

 折しもお彼岸ということで,ご先祖様のことに思いをはせて,平穏に暮らせるように,今年も残り少ないんですけど来年がまたいい年になるように,と祈りを込めてお参りをなさいますと,きっとそのお寺の歴史が刻まれている鐘が優しく皆さん方を包み込んでくれるであろうと思います。