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2018年6月22日(金)第4,675回 例会

幸せはいつも自分のこころがきめている

筒 井  菜 月 氏

2017ミス・インターナショナル
世界5位
筒 井  菜 月

11歳から弟と共に長野県軽井沢町にある児童養護施設で育つ。20歳頃よりバックパッカーとしてアジア,アメリカ,オーストラリア,ヨーロッパ各地を周り,2016年にフィリピン・セブ島のスラム街で地域支援センターをクラウドファンディングで設立。生涯のテーマである「子供達に希望を与えられる環境づくり」を目標に様々な社会貢献や講演活動を行っている。

 大阪の地震により亡くなられた方々に,深く哀悼の意を表するとともに,ご遺族の方々にお悔やみを申し上げます。また,被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

 私が初めて大阪に来たのは2016年です。この年にミス・インターナショナル日本大会に出ることを決めており,大阪でビリケンさんをなでて,ミス・インターナショナルにしてくださいとお願いしました。今回こうした形で大阪の土地に戻って来ることができたことをとてもうれしく思っています。

 私は東京都出身で,長野県の軽井沢町にある児童養護施設で7年間育ちました。現在は25歳になりました。

 ミス・インターナショナルは平和と美の親善大使として,日本文化の発信,社会貢献活動を行います。よく間違えられますが,ミス・ユニバースはアメリカのトランプ大統領の関係団体が行っていたこともある大会で,ミス・インターナショナルは日本で開催されています。

 今回,約75カ国が参加したミス・インターナショナルの世界大会で,私は最も見栄えが良くなるように,自分で水着をデザインして出場しました。大阪の岸和田市ご出身の世界的なデザイナー,コシノジュンコ先生がつくってくださったオーダーメイドのコスチュームも着ました。頭が盆栽のような髪型になっていて,全体は花魁をイメージしています。

 今回はミス・インドネシアが優勝者で,イスラム教徒でした。当日,最終審査ではスピーチ審査などもありましたが,それ以前に参加者は1カ月間の共同生活を経て,日本全国をいろいろ回りました。その中でリーダーシップや生活態度,協調性なども審査されたのです。参加者同士は友達であり,ライバル。それでもすごく楽しい時間を過ごしました。大会後はミスの活動を行いました。ゴールドリボン運動として,小児がんの子どもたちのために募金活動をしました。トヨペット主催の「ふれあいグリーンキャンペーン」では,国内の都道府県を回って県知事と一緒に木を植える環境緑化活動をしました。

養護施設で育ち, いじめにも

 私は7歳で両親が別居し,9歳で生活保護を受けました。11歳で児童養護施設に行くまでの間が,私としては一番大変な時期だったのです。両親は離婚していないので,当時は母子手当も父からの生活援助もない貧困状態。家はゴミ屋敷で,母は病気で,学校にもまともに通っていませんでした。11歳の時,9歳の弟が先に児童養護施設に行くことになり,「将来成長した時に弟がぐれたら嫌だ」と私も一緒に施設に行きました。しかし,病気のことでからかわれたり,いじめられたりして不登校になり,どこにも居場所がない思春期でした。17歳以降は東京に家を借りて,アルバイトを掛け持ちして高校を卒業しました。その後,いろいろな芸能活動をやりながら,何とか生活しているような状況でした。

 それでも,お金を貯めて海外に行きたいと思い,21歳の時に100万円を握りしめて旅行を始めたのです。オーストラリアのダーウィンでは巨大なオーストラリアンバッファロー5頭と遭遇し,命の危険を感じたこともありました。

フィリピンで貧困児童支援

 その後,改めて英語の勉強をするためフィリピンへ。その時,セブ島のスラム街の子どもたちと出会い,何かできることはないかと考えたのです。地元のボランティアや教会と提携して,土・日にダンスと歌のアクティビティを実施。ご飯をあげるというプログラムを始めました。その後に,事業継続のため,クラウドファンディングでお金を集め,地域支援センターを設立しました。

 センターでは,学校に行けない子どもたちのために自主学習ができるようにしたり,児童館的な場所にしました。地域ではHIVの患者が多く,使用した針のようなものも地面にいっぱい落ちていたのです。このため,センターは室内で安心して遊べる場所にしています。

 私は,自分が養護施設で暮らし,貧困を実感してきた立場として,将来は子どもたちに希望を与えられるような存在になりたいと思っています。

 現在,南部代表が代表を務めるパソナグループで会社員をしています。その一方,パリの市庁舎でのファッションショーに,コシノジュンコ先生の衣装を着て出演しました。ロシアでは日露首脳会談の後にプーチン大統領が私たちのショーを見に来てくださいました。

幸せは自分のこころが決める

 私は座右の銘があります。相田みつをさんの「しあわせはいつも自分のこころがきめる」という言葉です。

 私が小さい頃の話をすると,「すごく大変だったんじゃないか」「よくこんなに大きくなって」と言葉をかけていただけます。ただ私は,小さい頃を振り返って,そんなに不幸だったのかなと思います。どんな瞬間でも,いろいろな人々の愛を感じていましたし,私がいじめられて不登校になったり,死にたいと思った時も,誰かが支えてくれました。

 私は,どんな困難があろうと,その中で幸せを見出せるような,そんな人生を歩んでいきたいと思っています。「幸せはいつも自分のこころがきめる」,「どんな状況でも自分が幸せと思えば幸せだ」ということを心に置いて,皆さんに感謝してこれからも頑張って活動してまいりたいと思っております。

 (映像・スライドとともに)