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2016年12月9日(金)第4,606回 例会

成功は挑戦から
~世界七大陸最高峰登頂から学んだこと~

南 谷  真 鈴 氏

学生冒険家 南 谷  真 鈴 

1996年神奈川県生まれ,20歳。1歳半のときに父親の転勤でマレーシアへ。その後,上海や香港などで12年間海外在住。2011~13年に香港の山々を全て登り,ネパールやチベットの6,000メートル級の山々に登頂。’11年には英国エディンバラ公国際アワードブロンズ賞受賞。’12年同シルバー賞,’14年同ゴールド賞受賞。South Island School Hong Kong,東京学芸大学附属国際中等教育学校を経て,’15年より早稲田大学政治経済学部国際政治経済学科在学中。

 12歳の時,香港で通っていたブリティッシュスクールの学校行事で山と出会いました。先生に地図とコンパスをもらい,友人たちと計画して様々な山を登りましたが,とても新鮮な体験でした。山から振り返り,香港の高層ビルがずらっと並ぶ様子を見ていると,「ちっぽけな悩みを持っていたんだな」と思え,どんどん山へ足を運ぶようになりました。

滑落事故を乗り越えて

 13歳でネパールに行き,初めてヒマラヤに登りました。14歳で香港の山を制覇し,16歳でチベットにも行きました。17歳の時,自分の原点を学びたいと思い,父と同じ早稲田大学に進学するため,日本に戻り受験勉強に取り組みました。朝から夜までひたすら勉強するなかで,自然に触れ合わないと心が窮屈になってしまうと感じ,プロジェクトを思いつきました。

 実は,ネパールの山を登った時に,谷の間から見えた壮大なエベレストの姿に,いつかこの山を絶対に登ると決めていました。授業が終わるとパソコンや携帯で企業にひたすら連絡をとり,時には直接足を運び,山登りのサポートをお願いしました。初めてサポートしてくれたのは,心優しいおばあさまでした。その方のお陰で,南米最高峰・アルゼンチンのアコンカグア山に登ることができ,これが私の初めての七大陸最高峰への挑戦となりました。

 その後,日本に戻って無事に卒業し,全てがうまくいっていると思っていた時,落とし穴が待っていました。昨年3月7日,長野の山でトレーニング中,250メートルの高さから滑落してしまいました。遭難した夜,山に穴を掘り,雪を食べて一晩過ごしました。翌日に救助されたのですが,「こんな間違いは二度と犯してはならない」と思い,トレーニングに専念するようになりました。周りから「そんな危険な思いをしてもあきらめないのか」と言われましたが,「ここであきらめたら,事故にあった経験は力にならない,前に進めない」と思い,人一倍安全登山を心がけるようになりました。

 あきらめずに続けていくうち,サポートしてくれる方が増え,スポンサーも獲得することができました。それで火がつき,キリマンジャロ,モンブラン,マナスルと,どんどん登頂に成功していきました。

 南極大陸のヴィンソン・マシフにも挑みました。南極大陸はまるで別世界。辺り一面真っ白で,360度山しかない。現地で1週間,猛トレーニングを積み,クロスカントリーのようなスキーで60~100キロのソリを引っ張り,110キロもの行程を進んで南極点にも到達しました。来年4月には,北極点到達も考えています。七大陸と南極点,北極点で探検家グランドスラムが達成します。もともとエベレストだけだったのが七大陸へ,七大陸だけだったのがグランドスラムへと,続けていくうちに夢が広がり,力もついてきて,「人は成長するものなんだなあ」と実感しました。

大人になる前の一大プロジェクト

 エベレストを前に,七大陸の中では比較的登りやすいロシアのエルブルース山にアタックしました。しかし,冬にチャレンジしたため,斜面は凍りつき,まるでアイスリンクのようでした。12本刃アイゼンで1歩ずつ踏みしめて進むのですが,風が強く,途中で天気の回復を待つしかない状況に陥りました。やっと晴れた日は帰国当日。夜中の12時に出発し,朝の9時に登頂,午後3時にはホテルに戻り,夜7時の便で帰国するという強行スケジュールでした。日本に帰ると2日間講演が続き,明後日にはエベレストに出発するという忙しさ。荷造りをできたのは出発当日でした。

 エベレスト遠征は60日間かかるため,最後まで登頂する日の判断に悩みました。予定日は天気が悪く,隊長が最終的に「今日はやめよう」と判断しました。他のチームは全て出発したため,山頂間近で2時間もの渋滞が起こり,鼻や手足の指が凍傷し,切り落とさなくてはならなかったり,酸素ボンベが切れて亡くなったりした方が相次ぎました。

 5日後,私たちのチームは出発しました。風はなく,暖かく晴れ,「こんなに最高の登頂日は何十年振りだろう」と隊長が涙ぐみ,私たちも山頂を間近にして涙がとまりませんでした。「こんな小娘に登れるわけがない」と言われたり,事故に遭ったりした時の思いが込み上げ,私にとって大人になる前の一大プロジェクトとなりました。

自分を信じる大切さ

 アラスカのデナリが七大陸最高峰挑戦の最後の山になりました。28日間の予定で出発し,途中まで驚くほど順調でしたが,山頂間近で9日間もの嵐に見舞われ,滑落事故以来,死ぬかもしれないという思いを味わいました。天候が回復し,山頂を目指しましたが,後100メートルもない地点でチームが戦意喪失し,山麓まで降りることになりました。街まで一旦戻りましたが,私は「1人でも絶対行く」と決め,そこから4日間で登り,7月4日夜12時45分に登頂を果たしました。

 帰国後,「冒険の書」という本を出版しました。今後のプロジェクトについても計画を立てているところで,山だけでなく海にも挑戦しようと考えています。自分に限界を設けない,そして常に挑戦し続けること。何より自分を信じることが一番大切だということを伝えられる人になりたいと思っています。

(スライドとともに)