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2015年7月24日(金)第4,543回 例会

船を造らない造船会社

古 川    実 君(機械・装置製造)

会 員 古 川    実  (機械・装置製造)

1943年大阪府生まれ。’66年大阪大学経済学部卒業,日立造船(株)入社。2005年取締役社長,’10年取締役会長兼社長,’13年取締役会長兼CEO(現在に至る)。《社外団体歴》’06年~日本産業機械工業会副会長,’10年~大阪商工会議所副会頭,’13年~関西経済連合会理事,’14年~日本機械工業連合会副会長,大阪府工業協会副会長。当クラブ入会’08年11月

 私の勤務先が日立造船ですから,船を造らない造船会社というのは日立造船のことだとお分かりと思います。社名と実際やっている事業が異なっている会社はたくさんありますが,当社もその一社です。「杜仲茶の日立造船」と認識している方もいると思いますが,その杜仲茶事業もすでに売却しています。

 今年の株主総会で「社名変更しないのか」と質問を受けました。しかし,船を造らない造船会社だからおもしろいということで,「今のところ変更するつもりはありません。変更する機会がきっと来ると思っており,タイミングを待ちたい」と申し上げました。

 現在,日立造船は全く船を造っていないので,造船の売上高はゼロです。そして,今は「環境の日立造船」ということで,ごみ焼却炉を中心に事業を展開しています。

単独生き残りは困難

 日立造船は1881年に英国人が大阪市の安治川河口に大阪鉄工所を造ったのが始まりです。戦前は新造船を次々と建造すると同時に,景気変動の影響を受けやすい業種ということもあり,当初から多角化を進めていました。昭和の初めには,大阪市の橋の8割は日立造船が造ったと言われています。

 株式会社に変更,第一次大戦後の不況や昭和恐慌に直面し,1936年に日立製作所の傘下に入りました。太平洋戦争が激化する中,’43年,私が生まれた年に日立造船と改称されました。終戦後,財閥解体で日立製作所の傘下から離れ,独立会社になりました。

 戦後の復興とともに,わが国の造船業は発展していきます。’56年には世界の海を支配していた英国を抜き,世界一の造船大国になりました。2000年に韓国に譲るまでの45年間,世界一の座を守ってきましたが,決して平坦な道ではありませんでした。

 1971年の円の変動相場制移行,’73,’79年の2度のオイルショックで造船需要が減少,設備を削減し,何とか需給ギャップを埋めながら生き残ってきました。当社は’86年,最大の工場だった広島県の因島工場で新造船から撤退しました。当時,「島が沈む」と報道されたことを思い出します。

 わが国の造船業が苦戦する中,’73年に造船業を開始した韓国の現代重工は積極的な設備投資を実行し,現在,世界最大の造船会社になりました。同社を擁する韓国が2000年,ついに日本を抜き世界一になります。その韓国もわずか10年後の’10年に世界一の座を中国に譲りました。このように覇権国が変化していく世界の造船業界の中で,残念ながら当社が単独で生き残っていくのは困難であると判断せざるを得ませんでした。’02年,造船事業について,現在のJFEホールディングスと50対50の合弁会社を設立,本体から分離する決意をしたのです。

 この合弁会社は’13年にIHIの造船子会社を統合し,防衛省向けの艦艇からあらゆる民間船を建造できるわが国最強の造船会社の一つになり,世界に伍して勝ち残っていけるようになったことをうれしく思っています。

環境の日立造船に

 当社は造船部門と決別しましたが,どのように環境の日立造船に変身できたのか。先ほど話した通り,造船事業は景気変動の影響を受けやすいため,早くから事業の多角化を進めていたのです。その一つがごみ焼却炉ビジネスでした。

 昭和30年代後半になると,全国で公害問題が発生し,都市ごみも大きな問題になりました。大阪市は,ごみ焼却と同時に発生する熱で発電するごみ焼却発電設備の導入を計画していました。当社は1960年にスイスの企業からごみ焼却炉の技術を導入,’65年,日本初のごみ焼却発電設備である西淀工場を完成させました。これがごみ焼却炉ビジネスの始まりです。その後,受注は順調に拡大し,国内で200基以上の建設実績を持つトップクラスのメーカーになることができました。

 海外でもすでに中国から10基のごみ焼却発電設備を受注し,インドからも昨年,初めて受注しました。2010年にはスイスの会社を買収し,欧州で9件の受注に成功,欧州シェアNo.1を獲得しました。すでに全世界で500基以上のごみ焼却炉の完成実績を有し,事実上,世界No.1になれたと考えています。

杜仲茶からゴルフボールへ

 当社がこのようにスムーズに事業転換を図れたのは1960年に欧州から技術導入を図り,諸先輩が50年以上,環境事業を育成してきたからであり,事業転換が一日でできたわけではないことがお分かりいただけたと思います。

 当社は中近東における海水淡水化プラント事業も40年以上の歴史を有し,防災関係事業や洋上風力発電にも注力しています。現在の主力である環境事業もやがて新しい事業に代替されていく時代が来ると思っています。今からその準備をしていく必要があります。

 当社が現在2030年を目標に進めているのは,水素社会の到来に対応する技術の確立と新素材の開発です。今日は,新機能素材の開発例として,杜仲ゴムから抽出した素材で表面をカバーしたゴルフボールを紹介します。耐衝撃性は石油系素材と同等以上で,高スピンの機能性ゴルフボールとして,来年,売り出される予定です。ここまで到達するには,杜仲茶を発売以来30年を要しています。技術開発はこれぐらい時間がかかるものです。もうかるまでにはもっと時間がかかります。来年8月には,杜仲茶の日立造船からゴルフボールの日立造船に変わりたいと思っていますので,ぜひよろしくお願いします。