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2015年6月12日(金)第4,537回 例会

マッカーサーの置き土産
―戦後の教育をどう変えたか―

佐 川  泰 宏 君(教 育)

会 員 佐 川  泰 宏  (教 育)

1970年関西学院大学文学部仏文学科卒業。(株)東京アカデミー(公務員試験,教員採用試験,看護師等各種国家試験合格のための予備校を全国32カ所)入社。’88年同社代表取締役・理事長に就任。ティーエーネットワーク(株)(教材・模擬試験制作)。大東廣告(株)(広告代理業)。七賢出版(株)(出版物の作成および販売)。テレコムスタッフ(株)(映像制作,主な番組「世界の車窓から」「迷宮博物館」等)の代表取締役社長を兼務。当クラブ入会2006年。’13年理事・友好委員長。

 イタリアにバッテーラという街があります。美術史学者でいらした若桑みどりさんがお年寄りのガイドを頼んで回ったとき,若桑さんが「こんなところにメディチ家の紋章がある」と言ったら,そのガイドが呪いの言葉を吐いた。なぜかと言いますと,この街は昔フィレンツェと対立して戦いに敗れ,あらゆる悪事を働かれて以来ずっとひたすら衰亡をたどったわけです。1472年の話ですから,もう500年以上,そういった恨みを忘れていない。

 要するに中近東から欧州にかけての人々には,やられたらやり返す,目には目を歯には歯を,恨みは決して忘れない,そういった遺伝子が脈々と続いているわけです。

復讐恐れ3つの改革

 その末裔たるダグラス・マッカーサー,ないし米国人にそれが引き継がれていないわけがない。彼らが本気で恐れたのは復讐です。なぜなら彼らは,やられたら必ず復讐するからであります。マッカーサーとGHQ(連合国軍総司令部)の目的はただ一つ,日本をして二度と白人社会に刃向かわない国にする。このことに集約されます。

 そのために,政治,経済,文化,あらゆる点でいろいろな改革を行う。彼らは決して,親切で民主的な国にしたわけではありません。民主的な国ほど復讐のリスクが低くなる,そういう判断のもとであります。

 どういう改革をしたのか。簡単に申し上げると3つございます。1つ目は教育勅語の廃止,2つ目は日本人に日本史を学ばせない,3つ目はエリート教育の否定であります。

 教育勅語というのは12項目,親孝行とか言動を慎む,仕事に励むとか真っ当で,何もおかしくない。ただ,12項目目に少し気になる言葉が入っております。「国に危機あれば,国と天皇のために力を尽くそう」。どうもこのへんが気に入らなかったのでしょう。結局1948年に国会の決議で廃止されました。もちろんGHQの差し金であります。

 2つ目は,日本人に日本史を学ばせない。終戦直後ならいざ知らず,それを今でも引きずっているわけです。自国の歴史を学ばない国がどこにありましょう。今でも高校は日本史というのは必修科目ではないんです。世界史が必修科目であって,日本史と地理は選択科目。つまり高校3年間,日本史を全く学ばなくても卒業はできます。こんなおかしな国はどこにもない。

偏差値基準で幼稚化進む

 3つ目,エリート教育の否定。戦前はいろいろなところでエリート教育が行われていました。陸軍士官学校,海軍兵学校,あるいは旧制中学,旧制高校からの帝国大学への進学。つまり,日本を動かすエリートを育てる。このこともGHQから見たら,軍国主義へ向かう一筋の道をつけたと判断されたように思われます。この学制を思いっ切り変えて,フラットにしたのです。

 どんな大学も設置基準に沿って全部同じにした。偏差値70以上の大学も,40以下の大学も,同じ基準でフラットにしてしまった。そうすることで偏差値だけが教育の指標になってしまったわけです。偏差値がすべての世の中になってしまった。

 先週の6月6日,アイドルグループAKB48の「選抜総選挙」が行われました。生中継で3時間,大変な騒ぎであります。あの本当に真剣に順位を見ながら祈る若者を見ていると私は,草葉の陰でマッカーサーが思いっ切りガッツポーズを決めている姿が見えるわけです。日本の占領政策は70年をもって完成を見た。

 日本を覆うこの幼稚化の現象は何でしょう。例えばディズニーランドに子どもが行くのは大いに結構でしょう。しかし子どもも成長すると趣味嗜好が変わってくる。だんだんディズニーランドから離れていく。これ普通だと思うんです。しかし30,40,50歳になってもディズニーランドに行き続ける大人がいるわけです。成熟しない人間がやたら増えている。ピーターパンと同じですね。大人になりたくない。

実学重視の大学も

 冨山和彦さんという経営コンサルタントがおります。この人が最近,大学を「グローバル大学」と「ローカル大学」の2つに分けるべきだと言っている。グローバル大学というのは研究開発を中心にやっていく,世界に伍して戦える人間を育てる。ローカル大学というのは実学を重んじる,社会に役立つ人間を育てる,生産性を向上できる職業訓練の施設にすべきだ。文学部だったらシェークスピアじゃなくて観光英語だろう。経営学部だったらドラッガーじゃなくて会計ソフトの使い方だろう。法学部だったら,刑法じゃなくて道路交通法だろう。こういう考え方でございます。今の大学を見ていると,それも一つの方法かなと思います。まだ賛成者が多いというわけではございませんが,偏差値70の大学も40の大学も,同じ大学の設置基準で,同じカリキュラムで勉強するというのはおかしな話だと思います。

 マッカーサーが言った話で有名なのがあります。「日本人の精神年齢は12歳だ」と。私は初めてこれを聞いたときには,日本に対する理解が足りないと思ったんです。でもどうでしょう,あの時日本人の精神年齢が12歳であれば,今一体何歳でありましょうか。今日申し上げたい問題提起はそこのところに尽きます。ピーターパンばかりがばっこするような日本の国では将来は危ぶまれる,そうとしか思えません。