大阪ロータリークラブ

MENU

会員専用ページ

卓 話Speech

  1. Top
  2. 卓話

卓話一覧

2014年6月20日(金)第4,490回 例会

プーチンのロシア

齋 藤    勉 君(新 聞)

会 員 齋 藤    勉  (新 聞)

1949年埼玉県熊谷市出身。東京外国語大学卒業後,産経新聞社に入社。水戸支局を経てテヘラン,モスクワ,ワシントン支局長を歴任。’07年取締役編集局長。ソ連とロシア特派員として計9年間在住。’90年ソ連共産党独裁放棄のスクープで日本新聞協会賞受賞。当クラブ入会2013年9月。

私はソ連が崩壊する前後の5年半と,ソ連崩壊から9,10年後になりますが,プーチン大統領が最初に登場した2000年から3年間に2回目の特派員をやり合計8年半ぐらい,出張も含めると9年ぐらいロシアにお世話になりました。ここに立つに当たって,大阪とロシア,何かこじつけるものはないかと調べたのですが,ありました。プーチンの故郷のレニングラード,今はサンクトペテルブルクと言いますが,レニングラードとこの大阪は姉妹都市なんです。水の都,運河の都です。もう一つ似ているのは,首都モスクワに対して非常に競争心,反骨心が強い。大阪が東京に対してものすごいライバル意識を燃やしているのと同じように,対中央ファイトと言いますか,ものすごいファイトです。それから,歴史が深い。そういう面でも非常に誇りとプライドが高いところで,それも大阪と非常に似ているなと思います。

ロシアの内情

私はモスクワにいた頃,タクシーに乗ると必ず「日本をどう思う」と聞いたのですが,「あの小さい国だね」とばかにしたように言う運転手が多かった。ソ連時代は,中身はなくても一応超大国ですから。私が「お前のところが北方領土を返さないから小さいんだ。返ってくればもっと大きくなる」と言うと,「そんな領土問題ってあるのか」というのが彼らの反応で,領土問題を知らないか,または間違って教えられているかどちらかです。モスクワでこうですから,地方はもう推して知るべしです。

今のモスクワの街は,素晴らしいマンションが建ち,上物はすごいものになりました。石油,天然ガス成金がどんどん建てているわけで,物価が高い以外は今モスクワが非常に住みやすいと言われています。これは表向きの話で,ロシアのベールを一枚はぐと全然違った顔が見えてくる。まず,言論の自由が全くない。批判している新聞はありますが,全部やらせです。それから,事実上の一党独裁は変わってない。昔はソ連共産党の一党独裁でしたが,今は統一ロシアというプーチンの政党の一党独裁に近い。表向きいろいろな政党はありますが,事実上仕切っているのは,統一ロシアという政党しか機能していません。

プーチン大統領の思惑

プーチンというのは,スターリンが大好きです。裏返すと,スターリンがつくったソ連という大帝国の崩壊を誰よりも悔しがっている。いつか再興することが彼の長年の悲願です。「もう一回スターリンがつくったソ連に戻してやるぞ」というので,「海洋国家をつくる」とはっきり言いました。ところが政権をとって間もなく,潜水艦が沈没する事故が起き,海洋国家の夢がついえてしまった。そして今度,初めて時がきた。これがクリミアの併合です。フルシチョフはウクライナ人でして,自分の民族にご褒美としてクリミア半島をあげた。それが,ソ連の崩壊でウクライナは別の国になった。あそこにセバストーポリという軍港があり,ウクライナから借りる格好になっていた。やっと奪還の機会が来た,というのがクリミア併合。クリミア半島にこだわるのは,セバストーポリは不凍港で,不凍港はソ連時代から2つしかない。極東のウラジオストックとセバストーポリ。黒海から地中海に出て,大西洋に出て,それから北極海に出る。非常に行動範囲が広くなり,まさに海洋国家の礎ができるわけです。

領土問題

プーチンは「四島はロシアのもので,国際法で決まっている」と言っていますが,これはうそです。第二次世界大戦で日本とソ連が戦争の結果,正当に北方領土は奪われたと言っていますが,日本とソ連は戦争をしていない。宣戦布告もない。ソ連が日ソ中立条約を一方的に破って奪った。「国際法とは何ですか」と私は東京で当時のロシア大使館の公使に聞くと,彼は「ヤルタ協定です」と言いました。ヤルタ協定はドイツ降伏後,「ソ連軍が日本に参戦してよろしい」とうたってはいますが,あれは秘密協定で日本は参加してない。効力はないのです。尖閣もそのとおり。1992年に中国が一方的に領海法という法律を勝手につくり,尖閣は中国のものだ,核心的利益だと勝手に決めてどんどん迫っているわけです。竹島に至っては,李承晩が勝手に李承晩ラインを日本海に引いてしまった。これは全部国家犯罪,国のトップの指示で領土が決まり実効支配されているという状況です。

四島,四島とばかり言っていたら北方領土は取り戻せないじゃないかとよく言われますが,そんなことはありません。ソ連崩壊直後,北方領土は返ってきそうになった。1991年12月にソ連が崩壊し,翌年春にエリツィンの特使,密使ですが日本に来て,お金で解決しようとした。アメリカと対峙する必要がなくなり戦略的価値はなくなったので日本に返してもいい,新しい国家再建のためのお金が欲しいと交渉が始まりました。うまいところまでいきかけたが,ソ連軍が妨害した。領土問題について,日本は外務省ですが,ソ連,ロシアは軍の情報機関がやっている。彼らの思想は「領土は血だ」というもので,1滴たりとも,1センチ四方たりとも日本に渡すことはまかりならんという指令が来て会談は流れてしまった。つまり国が崩壊するとか,資源が動くとかいうときにロシアの国は大きく変わります。そこに備えるべきだと我が社は言っているわけで,安易に二島,三島なんかで妥協してはいけません。北方領土問題は「四島返還」しかあり得ないという,非常に単純な結論となりました。