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2012年9月21日(金)第4,410回 例会

“チャレンジド”自立への歩み20年

竹 中  ナ ミ 氏

(社)プロップ・ステーション
理事長
竹 中  ナ ミ 

1948年神戸市生まれ。’91年プロップ・ステーション設立,’98年社会福祉法人化,理事長に。’09年米国大使館より「勇気ある日本女性賞」受賞。’10年NHK経営委委員,’12年関西大経済学部客員教授に就任。

 皆さん,こんにちは。私は見ていただいてもわかるように幼いころから大変な「ワル」でした。その私を更生させてくれたスゴイやつと39年前に出会いました。それが私の娘なんです。重い脳の障害を持って授かりました。プロップ・ステーションのホームページの表紙に,娘と私の写真を載せてもらっています。ちゃんと私のほうをしっかり見てニッコリ笑っているように見えますが,全盲です。聴覚のほうも音は聞こえているんですが,音の意味することは一切わからない。声は出るんですが,言葉は一切出ません。機嫌のいいときと悪いときで声の調子が違うという,生後すぐのような状況の精神発達状態です。接触の拒否と言って私がギュっと抱っこしたり,触ったりすると,それがパニックになって発作になることもあったんですが,この1年ぐらいは指を握り返してくれるというような状態になりました。私にとっては宝物といいますか,生きるパワーです。彼女を授かって初めていろんなことに目覚めまして,プロップ・ステーションの活動を始めたわけです。娘を授かって何が悩みになったかと言うと,いつか自分がこの子を残して死ぬんやな。そのときに,彼女のような存在も社会全体でちゃんと守ってくれるんやろうか。守ってくれるための経済的な基盤とか,人の優しさとか,そういうものが続くんやろうかというのが,私の大きなテーマになったんです。ですから私は1人でもたくさん支えてやろう,こういう子も一緒に守ってやろうと言ってくれる人を探してネットワークをつくることを活動の柱にしてきたわけです。

障害者の可能性を伸ばす活動

 活動を始めて22年ですが,ここに車椅子の女の人の写真がありますが,この曲がった細い指にペンのようなものを持たれて,非常にすばらしいコンピュータグラフィックスを描かれるんです。首のところに白いマフラーをしているように見えますが,自力呼吸が大変で気管切開をされていて,口から食べることが無理なんです。でも彼女はイラストを描くのが好きだから,コンピュータを勉強してイラストレーターとしてやっていきたいと勉強されているわけです。プロップ・ステーションでは超一流のコンピュータのエンジニアとかクリエイターとかに講師をお願いして,意欲のある方々がどんな障害があっても障害者じゃなくて自分の可能性を伸ばしていく,社会を支える一員になりたいという「チャレンジド」として生きていくことを,そのための技術をいろいろ教える活動をしています。

 このお兄ちゃんは自宅でコンピュータに向かっている様子なんですけど,進行性の筋ジストロフィーで,どんどん筋肉が抹消のほうに向けて動かなくなっていく病気なんです。彼のところでコンピュータネットワークの全部の取り仕切りを やってくれていまして,通ってこなくてもたくさんの方を育ててくれました。活動している間にどんどん体が弱ってきて,ベッドの上から「そろそろ心臓が危ない」という連絡をコンピュータでくれたのが最後でした。「人のために何かをなすことができて,人から喜んでもらうことができた。誇りを持って死んでいける」と,家族にも一生懸命言っていたということです。それは私たちにとって,とってもうれしいことでありました。

コンピュータが福祉社会を促進

 私たちが学んだことは,コンピュータや情報通信がいかに彼らの力を引き出すかということなんです。指がわずかしか動かなくても,瞬きや舌の動きでコンピュータを操作してすばらしいグラフィックを描く人が何人もいらっしゃる。そういうことを私たちは彼ら自身から教えてもらった。情報通信で私たちを最高に支えてくれたアメリカの人がいるので,その写真を見てもらいたいと思います。皆さんよくご存じのビル・ゲイツです。私たちの活動を最初に応援してくれたのがマイクロソフトだったんです。日本法人の成毛眞社長の紹介でビル・ゲイツに会うことができました。「ナミさん,あなたのやっていることは僕の思っているコンピュータの使い方と同じだ」と言ったんです。冗談は全然言わはれへんのですが「ナミさん,このメガネは僕の車椅子なんですよ。人間は何かしら道具の力を借りて生きていくものなんです。コンピュータはそうなりたいのです」ということを言わはったんです,英語ですけど。

社会を支える力を眠らせるな

 日本人というのは優しいですから,自分にできることができない人がいたら,気の毒ややな,何かしてあげることないかなと思うんですね。だけどそれが裏目に出て,日本の福祉は障害のある人をチャレンジドという前向きな見方ではなくて,何か補助してあげよう,あくまで手助けしてあげようと思ってるんです。私はこの22年の経験で,自分よりもっとスゴイことできるやつがいっぱいいる世界やなというのがわかった。社会を支える力を眠らせているのはいかにももったいないなというのを痛感しました。 私自身は,安心してオカンの私が死んでいくために1人でもたくさんの社会の支え手を増やしたい,これが究極の目的でプロップ・ステーションもそのために活動してます。別に正義でもなきゃ,善でもなきゃ,そんなカッコええものでもないんです。ですけれど,本当にこれだけ高齢社会になって,経済的にも厳しい状況になったときに,この活動というのは一生懸命やっていかないといけないと思っています。きょうお話を聞いていただきましたことをご縁に,皆様の周りにもたくさん可能性が散らばっていたんだ,眠っていたんだということにお気づきをいただけたらうれしいかな。そして,ナミねぇが安心して死んでいけるようにしていただけたらうれしいかな。