大阪ロータリークラブ

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2012年8月3日(金)第4,404回 例会

チャーターメンバーに学ぶ
大阪ロータリークラブの魅力と会員増強

扇 谷  廸 宏 君(非鉄金属販売)

会員増強委員会
委員長
扇 谷  廸 宏  (非鉄金属販売)

1967年慶応大学商学部卒業。’69年米カリフォルニア州ウィティアカレッジ卒業,日立製作所入社。’76年扇谷興業取締役経理部長就任。’99年社長就任。当クラブ入会:’03年2月。
’10~11年度理事・副会長。

 庄野クラブ奉仕委員長が,きょうのフォーラムのテーマを「さらなるクラブの充実と発展のために,クラブの増と強を図るには」とされました。そして「担当委員長がまず卓話を」と説得され,ちょっと躊躇しましたが,せっかくのPRチャンスをいただいて感謝すべきであろうとお受けいたしました。大阪RCの会員数の変遷をみますと,今年は255人でスタートしましたが,30年前,1983年7月は309人でしたから,54人の減少です。退会理由の中には,「転勤・退職」という方がおられ,年平均12.2人です。うち大半の方が交代者の入会を誘ってくださり,それを80%としますと2.5人の減少です。それから「やむを得ない理由」,ご病気であるとかいろんな理由があるのですが大体14人の方が退会されている。それを合わせますと16.5人。現状維持を第一目標といたしますと,年17人の新会員獲得がとりあえずの目標かと思います。

チャーターメンバーは平均47歳

 チャーターメンバーを振り返ってみたいと思います。驚きましたのが,非常に若いことで,平均年齢が47歳,明治8年(1875年)生まれです。若い国の新進気鋭の方が集まって,『坂の上の雲』を目指す気概を持った勢いというものを感じます。最年長が江崎政忠さんで57歳,慶応元年のお生まれです。慶応生まれの方はほかに2人おられまして,平生釟三郎さん,片岡直方さん。最年少は伊藤忠兵衛さんで36歳,明治19年のお生まれ,最年長の江崎さんとは21歳違いです。

 メンバーに共通するのは,いろいろな面で活躍しておられることです。例えば,官界におられて実業家になられた木間瀬策三さん,坂田幹太さん。建築家として活躍し商工会議所会頭も務められた片岡安さん。海運会社で活躍して銀行に移り,専務・会長として銀行業の育成にも努められた八代則彦さん。税関吏員,商業高校教師を経て損害保険会社から造船会社,製鉄会社にも関わり,私立学校を興し,その後文部大臣,商工大臣を務められた平生釟三郎さん。弁護士で政界に入られ,東京裁判で弁護団副団長,戦後は文部大臣,衆議院議長も務められた清瀬一郎さん。紹介すれば切りがありません。

ポーランドとの友好にも貢献

 前田松苗さんは大阪赤十字病院(当時は日本赤十字社大阪支部病院)の第3代院長として,大正3年(1914年)から昭和18年(1943年)まで29年間務められた医師であり,すばらしい教育者,指導者としても活躍されました。大阪RC創立当時45歳で,昭和34年まで在籍しておられます。私は前田先生と縁もゆかりもなく知識もなかったのですが,先週までポーランドに行っておりまして,そのポーランドにちなんだお話なものですから,これも因縁かなと紹介させていただきます。出発に先立ち,ポーランドに関する本を探していましたところ,『ポーランド孤児・「桜咲く国」がつないだ765人の命』(山田邦紀著)という本を偶然見つけました。そこに前田さんのお名前が出てきました。当時シベリアに取り残されたポーランド人孤児たちが,日本赤十字社大阪支部病院に送られてきております。そこで,2週間から1カ月間休養させ,栄養補給と必要な医療措置を施し,神戸港からポーランドに送り届けたという話です。1936年にワルシャワを訪問した同病院の医長に,当時26歳になっていた元孤児から前田院長宛の礼状が託されたことが紹介されていました。手紙の内容は「14年前,日本で受けた厚意はいつまでも忘れません。両国の理解と友好がさらに深まることを心より願います」といったものです。

大阪RCの魅力は「和楽」

 最後に,大阪RCの魅力です。大阪ロータリークラブ『50年史』の中に伊藤忠兵衛翁が掲載された記事がございまして,発足当時のクラブの雰囲気を伝える面白いものですので,一部分をご紹介します。「――さて,創立されて数回会ってみたが,何となしにぎこちない。進行のプロセスもチグハグで,指名された者が文句を言いながらやっておる。銀行の頭取はいつの場合でも口髭をひねっている態度であって,どうもすっきりいかぬことおびただしい。歌を歌おうというので,先ず各個に「君が代」を歌わせてみた。しかし,それを歌えぬのが平生釟三郎,次いで小林一三,これは宝塚の本家本元だが立派に棒読みである。会をよくしたことは,ニックネームであった。平凡で少しでも敬称の意味がある言葉だと認められず,もっと罵倒の意味の言葉をつけろと言われる。その時に,もうロータリーは成功したと思ったが,2人の有力な会員を失った」とあります。大阪瓦斯の片岡直方さんは邦楽が得意で,宝塚の二の舞のような会は嫌だ,小林一三さんは,こんな子供じみた会に誰が毎週集まるものか,と言われて退会されたことが紹介されております。

 本日お配りしているレジュメに,大正14年(1925年)2月に制定された「大阪ロータリークラブ会員申合せ」を載せております。1.毎回例会に出席すること 2.自他の時間を貴ぶこと 3.快活,簡易,和楽を旨とすること 4.銘々職業を大切にし,此れにより社会の福祉増進に努むること 5.世界の平和に尽くすこと――とあります。大阪RCの魅力は和気あいあいとした人の輪であろうと思います。申合わせの第3項,「快活,簡易,和楽を旨とすること」の中の「和楽」です。90周年を迎えるに当たり,チャーターメンバーの心意気と進取の気性を思い出し,多くの困難を乗り越えてきた「和楽」の伝統を継承するためにも,多くの新メンバーをご紹介・ご推薦いただくことをお願いして,卓話を終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。