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2012年6月1日(金)第4,395回 例会

奈良公園へのいざない
-私がディープな奈良をご案内します-

福 西  清 美 氏

奈良県新公会堂
館長
福 西  清 美 

1957年奈良県生まれ。’78年大阪府立社会事業短期大学卒業。’79年奈良県入庁。
’98年国際課係長,’07年平城遷都1300年記念事業協会広報課長,’10年奈良しごとiセンター所長などを経て’12年4月より現職。

 私、奈良県庁職員です。この4月、新公会堂館長になりました。本日のポイントは、皆様に奈良県に、奈良公園に来ていただきたい、そして、奈良県を知っていただきたいということです。奈良公園って、どこ? 何? 何があるの? ということを、お話しさせていただきます。

奈良公園とは

 奈良公園は、近鉄、JR奈良駅から歩いて5分から15分ほどで着く近さですが、どこからどこまでが奈良公園かをご存じですか。奈良公園には柵も垣根もありません。西は興福寺のあたりから、東は芳山(ほやま)まで、東西約4キロメートル、南北約2キロメートル、社寺や隣接地一帯を含む約660ヘクタールが奈良公園です。正式には「奈良県立都市公園 奈良公園」と言います。明治13年に太政官(今の政府)の伊藤博文(当時の内務卿)が許可を出して誕生しました。このことが書いてある古文書が、奈良公園の百年史をつくったとき、たまたま奈良県庁の地下倉庫に違うものを探しに行ったときに出てきまして、これで確定しました。

 なぜ奈良公園ができたのでしょうか。当時、政府は欧米諸国についていこうということで国策的に近代化政策の一環として、明治5年に「学制」、明治6年に「公園」、この二つを打ち出しました。明治6年、東京、大阪、京都、奈良に公園の制定を通知しています。そのときに「公園」という言葉が初めて登場しました。

 開設当時は興福寺周辺の13ヘクタールぐらいだったようです。当時の「公園」の定義は、「万民偕楽の地」として位置づけられています。特定階層の人のものではないということで「万民」の2文字がつけられています。ただ広いから公園というのではなく、そんな歴史的背景もありました。このような広大な地を奈良公園として残してもらった、戦争でも荒れることなく残っているというのは、ありがたいことだと思います。

歴史と自然

 奈良公園一帯は、世界遺産にも指定されています。唐招提寺、薬師寺、大安寺などが含まれるのですが、その一つに春日奥山原始林もあります。奈良公園に東大寺、興福寺、春日大社があることはご存じでも、春日奥山原始林も含まれるとご存じの方は少ないと思います。奈良駅から2キロメートルのところに遊歩道入口があり、そこから9.4キロぐらいですが、北からぐるっと歩けます。

 森林浴やバードウオッチングが楽しめ、鹿、狸、猪、ムササビ、リス等いっぱいいます。私は東大寺の交差点で猪と出くわしてびっくりした経験があります。春日奥山原始林は、天然記念物、特別天然記念物に指定されていて、かつ、古代から神様の山ということで「祈りの地」でした。そこに行くと、ホッとしたり、ゆっくり時間が流れるような気がします。これが奈良のよさであり、癒されていただけるのではないかと思います。歩くことをお勧めしましたが、車では若草山ドライブウェイもあります。奈良公園は、このように自然と文化財が渾然一体になっているところ、また、広いというところが魅力です。

施設も多彩

 公園内には、春日奥山を借景に春日大社の北側に新公会堂があります。500人と規模は小さいのですが、レセプションホール以外にも能楽ホールがあり、ここは能狂言だけではなくて各種セミナーにも活用可能です。新公会堂の役割には、「コンベンション施設である・奈良公園の賑わいを創る・奈良発信施設である」の三つがあります。特に2番目の奈良公園の賑わいを創ることをやっていきたいと考えています。いつの間にか貸し館というような、おいでいただいた方に貸すという受け身な状況になっています。もっと積極的な提案が今後の課題です。

 庭園もあり、芝生エリアは専有使用でレセプションのパーティーなどに使用していただいていますが、空いているときには、奈良公園に遊びに来られた方が、ちょっと休めるような仕組みはできないかと考えています。新公会堂には鹿が入らないように柵があるので、奈良公園で唯一鹿のフンがありません。シートを敷いてお弁当を食べたり、バドミントンをしたり、音楽を聴いたりと、軽い感じの「集まり処」みたいなものをつくれないかなと考えています。

歴史上の人物と場所を共有

 奈良には、文化財は束になってあります。ところが、京都、大阪と違って、その周りの食べ物、宿泊、お買い物、名物が束になっていません。そういう楽しみ方がついてないから、奈良はわかりにくいと言われます。

 ただ、奈良は京都、大阪とは違う、という思いが、必ず皆様のお心の中にもあると思います。奈良には、「時間は共有できないが、歴史上の人物と場所が共有できる」という言葉があります。言い古された言葉かもしれませんが、本当にそのとおりだと思います。

 新公会堂の近くに東大寺大仏殿がありますが、聖武天皇と光明皇后が落慶法要のときにたたずまれた場所、ご覧になった八角堂もあります。お二人がそこで何を思ってらっしゃったか。また、光明皇后はとても聖武天皇がお好きだったから、亡くなられて悲しくて悲しくて仕方がないから、東大寺正倉院に全部ご寄付をされた。そういうお心にも触れていただけるのではないでしょうか。また、志賀直哉旧邸もあります。そこには多くの文豪たちも集まったそうです。何か感じるものがあります。京都とは違う、それでいて、日本人の思いを伝えられるような仕事を今後展開できたらと思っています。