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2009年3月6日(金)第4,246回 例会

大相撲を語る

松 ヶ 根  六 男 氏

松ヶ根部屋親方(元大関 若嶋津) 松 ヶ 根  六 男 

1957年鹿児島県種子島生まれ。高校入学と同時に相撲部に入部,高校3年の時,高校選抜チームの大将として団体優勝。’75年春,二子山部屋入門。同年初土俵の後,’81年新入幕,敢闘賞を受賞。その後,数々の賞を受賞後,大関に昇進し,’84年,14勝1敗で初優勝。四股名を若島津から若嶋津に改名し,2度目の優勝を経て’87年 年寄 松ヶ根を襲名,’90年松ヶ根部屋を興す。

 部屋を持って20年になります。私が相撲界に入ったのが昭和50年春場所,大関貴ノ花(故二子山親方)が初優勝した時でした。

 私は鹿児島県種子島で生まれ,小学校まで種子島にいました。まだ電気がなくランプの時代で,そんなに自動車も走っていませんでした。そういうところで育ちました。遊ぶのも,相撲をとるか,走るかでした。

 中学校から鹿児島市内に行きました。一番びっくりしたのは信号機で,コンクリートの道にもびっくりしました。

高校で相撲始める

 高校に入り,相撲を始めました。高校の1~2年は一番弱かったのですが,3年生になり国体に選ばれました。当時は大将で,ほとんど先方・中堅で決まるわけです。私は1回取りましたが,それで勝ちました。

 それでプロの相撲を目指し,自分がどこまで通用するだろうかと思いました。49年11月,貴ノ花さんが迎えにきまして,それで,「よし,一回やってみよう」ということで,大阪から50年にデビューしました。体重は70キロちょっと,身長は180センチちょっとでした。新弟子検査は身長173センチ以上,体重73キロ以上でしたから,体重はギリギリで通ったわけです。

 そのときの二子山部屋は全体で50人ぐらいいました。土俵で稽古するのは2人しかできません。なかなか稽古できないものですから,朝3時半,4時に起きて稽古していました。8時半になると,横綱・大関が起きてきますから,それまでに稽古を終えました。5年後に,大阪場所で新十両になりました。

 力士は,1月現在で683名。上は横綱から,下は序の口まで。外国人が入ってきております。一番多いのがモンゴルで33名。中国が6名,ロシア3名,グルジア……と,53人の外国人がおります。部屋は52あります。

 序の口は,下駄,帯は縮緬帯,着物はひとえしか着れません。3段目になると,雪駄がはけますが,帯はまだ縮緬帯です。幕下に上がると着物も袷になり,帯も博多帯になってきます。十両に上がるともう一人前ですから,髪型は大銀杏(おおいちょう),付き人が2人もしくは3人,正式の場所では紋付袴です。給料も出ます。

 若い人たちの給料は,年6場所ありますが,場所ごとに,幕下は15万と消費税,十両になると手取りで90万近く,幕内が120万,横綱が250万,これに場所手当がつきます。

 懸賞金は,かけるほうは1旗6万円で5日間以上。中身は勝った力士がもらうのですが,1旗3万円ということになっております。

厳しい部屋の生活

 相撲部屋の一日は,今うちの部屋(松ヶ根部屋)は14名いるのですが,6時半から稽古しています。5時ごろに起きて,トイレ・洗面,そして準備運動をして,6時半から11時前後まで稽古。終わってから風呂に入ります。

 私のときには,横綱は,遅く起きてきて稽古して,最初に風呂に入り,最初にちゃんこに手をつけるわけです。私が新弟子のときは,稽古が10時半ぐらいに終わって,それから横綱・大関の関取衆の給仕をして,自分が食べるのが大体1時ぐらいでした。それまで何も食べられない,飲んでも水ぐらいです。

 ちゃんこが終わったら,関取衆の洗濯です。2~30分昼寝して,4時ぐらいから掃除です。また,ちゃんこ番をしまして,大体6時から食事です。これもやはり横綱・大関から食べて,下のほうが食べます。

 七輪を幾つか並べて食べますが,丸いところに正面向いて食べると幅をとりますので,皆,体を斜めにして食べます。兄弟子が「ごはん」と言うとつぎにいくわけですが,帰ってきたらもう自分の場所がない。強くなればおいしい物も食べられます。私が入ったときは,そんなにおかずがいっぱいなく,自分が食べるときは汁だけでした。

  私が一番苦労したのは太る体質じゃなかったことです。入ったときは70キロちょっとだったですから,上に行くのにはどうしても太らなきゃいけない。ちゃんこも食べなきゃいけない。これが一番の苦労でした。朝早いとか,稽古がきついとか,これは全然苦労とは思いませんでした。

 十両に上がったときが大体85キロ,幕内が100キロちょっと。優勝したときが123~124キロ。幕内の平均が大体155キロでした。

団体生活ができない

 幕内最高優勝は2回しただけですが,全勝優勝は名古屋場所(1984年7月場所)でした。13日目に幕内の優勝が決まりました。14日目の相手が新入幕の霧島でした。霧島も同期生ですが,新入幕の人には負けるわけにいかない。そのときは緊張しました。優勝するより緊張した相撲でした。千秋楽は琴風でした。琴風にも合い口はよくなかったのですが,勝ちまして,2回目の優勝をしました。

 うちの部屋にも新弟子が入ってきますが,なかなか団体生活ができません。なぜかと言うと,個室が与えられているからです。自分で部屋にこもってゲームをやる,そういう子が多い。1ヵ月でやめていくのも,そういう子です。

 食事も,ちゃんとかんで食べるものを食べさせたい。ポテトチップスとかお菓子類では,骨が弱くなります。稽古をすると,すぐ骨にひびが入る。皆さん,子どもさん・お孫さんがいると思いますが,こういうことにぜひ気をつけてください。

 うちの部屋には14名いますが,お子さん・お孫さんで相撲をやりたがっていましたら,松ヶ根部屋によろしくお願いします。