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2008年12月12日(金)第4,236回 例会

未来の大阪 町づくりは堀江から

水 知  悠之介 氏

特定非営利活動法人
なにわ堀江1500代表
水 知  悠之介 

1942年生まれ。’66年名古屋大学工学部卒業後,栗本鉄工所入社。’00年栗本人材センター株式会社社長就任。’03年NPOなにわ堀江1500設立。’04年3月特定非営利活動法人なにわ堀江1500代表就任。

 「なにわ堀江1500」は,「なにわの歴史は1500年,それを踏まえて堀江から大阪の町づくりを,大阪の未来をつくろう。堀江から発信する」という題目を掲げて活動しています。今日は「未来の大阪 町づくりは堀江から」というテーマで,いろんな逸話を交えながら聞いていただこうと思っています。

生業の町,堀江が大阪主導

 今から300年前の元禄時代に,河村瑞賢によって開削された堀江川によって,大坂三郷の620町が完成しました。居住エリアや,材木,家具,金物といった商業産業エリア,さらに人が楽しむ花街が混在していた。数多くのベンチャー,新しい仕事がここで興されました。私たちは「生業(なりわい)の町」と言っておりますが,この生業の町が堀江の特徴であり,これが大坂の町をリードしていったわけです。明治,大正を過ぎて,近代大阪が最も輝いた大大阪の昭和初期時代と,堀江は大阪の町をリードしていきました。昭和の初めの金融恐慌の時代は実は大阪が一番輝いた時期です。

 この時代に関一市長の都市計画が後に御堂筋を完成させ,地下鉄を走らせているわけです。お上によるインフラ整備だけでこの大大阪が演出されたわけではなく,庶民の生業の中でしたたかな変化が浸透していったのです。

御堂筋の完成の2カ月前に電気科学館が完成していますが,この北隣にあるのが「マルキ号製パン」の店です。主役は水谷政次郎です。水谷政次郎は明治10年香川県で生まれ,20歳のときに大阪に出てきて粉屋で丁稚奉公。明治37年にパンの商売を始めました。

 日本では職人の手作りの発酵技術でパンを作っていました。ところが,アメリカではすべてがオートメーションで,一番肝心なのはイースト菌でした。日本では,それまで生のイースト菌が使えなかった。

 水谷政次郎はマルキイースト研究所をつくって,日本で初めてイースト菌を作りました。これが日本のパンの革命を起こしていくわけです。それまではホップ種や酒種で何日もかけてやっていたのが,イースト菌では発酵は2時間でできます。

パン食普及に貢献

 水谷政次郎は,アメリカから大量の自動機械設備を輸入し,堀江に東洋一のパン工場をつくります。このパンの工場が,今の日本の製パン業の原点になっていきます。彼はすべての技術を公開し,一般の人にも工場を自由に見せました。『製パン工業』という本に技術をすべて公開し,発刊しました。

 昭和5年,水谷政次郎は,大阪に樺太,朝鮮,台湾と日本帝国の製パン業者200人を集めて,大日本製パン工業会を設立しました。そして,最新鋭の製パン技術を日本中に紹介して,日本中のパン屋がまねをしています。製パンの技術の向上を図ると同時に,一般食卓へのパンの普及をしました。これが「パンデー」です。昭和5年から,大日本製パン工業会が9月1日を「パン食の日」として,一般の人に米に代わる食料として勧めていったわけです。

 水谷政次郎は,昭和12年まで大日本製パン工業会の会長をやりました。この間には商工会議所の商業部長を昭和4年から8年までやっておりますが,そのときに毎月機関紙を発行して,これは昭和15年まで続きますが,製パン技術の向上を目指して,全国のパン屋に最新技術を紹介していきます。こうしてパン食文化の普及に努め,昭和の初期には全国の庶民の食卓にパン食が定着していきました。

 昭和5年には,大阪の朝日新聞が主催した産業合理化展覧会で,「大阪における近代的合理化工場の代表は2つ,住友の製鋼所とマルキの製パン工場」ということになり,そういう意味では水谷政次郎はパン食の全国普及に非常に大きな力を発揮しました。

 水谷政次郎は昭和7年から昭和12年にかけて,北海道に大農場を建設します。500ha規模の農場を5つも確保しています。この一つが千歳にある千歳マルキ農場で,皆さんご存じの千歳空港です。マルキの農場跡を海軍に寄付をし,それをアメリカ軍に接収され,自衛隊にいき,それを民間空港にして千歳空港になったわけです。

日本の不況,大阪から救う

 今日ほとんどの人がマルキのパンを知りませんが,経済恐慌であり不況の中で前に向かって突き進んでいったバイタリティー,今日底なし沼に落ち込んでいく今の日本の未来を開いていくというためには,政府の救済策とかを懇願していてはだめなんです,この対応策を成し遂げた水谷政次郎のような先人がぜひあらわれてほしい。

 私は,それは「生業の町」の大阪にこそ,そのキーワードがあると思っています。大阪の活力の源泉は生業なんです。「生業とは何や」ということですが,「人が住んで,人が働いて,人が楽しむ」,これが三位一体になったのが生業ということで,それが大阪の力の源泉だと私は思っております。

 そういう大阪に人が定着し,定住する,いわゆる大阪人の郷土愛,アイデンティティーを形成するために私はNPO活動をしております。当「NPO法人なにわ堀江1500」というのは,その趣旨に沿って,昨年,大空襲で消えてしまった大阪の市街地の再現ということで,堀江の戦前住宅地図を作成しました。

 今,この不況の時代に,大阪が力を出さなくて何とする。こういうのが私の信念でございまして,ぜひ皆さんのお力を,日本の不況を救うのは大阪からという気持ちになっていただきたいと思っております。

 私は,そういった大阪のいわゆるアイデンティティー,郷土愛というものを持てるようにいろんな仕組みをやりながら,地に足のついた活動をしております。

※水谷氏の詳細は、「マルキパンの光と影」(水知悠之介著、新風書房)を。