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2008年7月18日(金)第4,216回 例会

音楽における解釈と表現

蔵 田  裕 行 君(音楽)

会 員 蔵 田  裕 行 (音楽)

1936年生まれ。’61年東京芸術大学卒。’65年同大学院独唱専攻終了後,ウィーン国立音楽大学入学。同大学オペラ科,リート・オラトリオ科卒。’68年より京都市立芸術大学で後進の指導に当たる。数多くのオペラに主演。’01年同大学名誉教授。’07年関西二期会理事長。’08年4月当クラブ入会。。

 入会早々スピーチが当たってしまいました。今日は自己紹介を兼ねてお話をさせていただきたいと思います。

2人の指揮者,2つの「第九」

 今日のテーマに関連して,興味深い経験をしたことがあります。ウィーン留学から帰って早々,東京でのあるオーケストラの演奏会で,ベートーベンの「第九シンフォニー」のバリトンソロを担当した時のことです。指揮はすでに故人となった著名な日本人指揮者でした。前日のリハーサルで第4楽章の例の大合唱に差しかかったとき,指揮者は言いました。「皆さん,これは行進曲です。軍隊の勝利の行進です。一歩一歩,軍靴を踏みしめるように,マルカートで力強く歌ってください」。

 翌々日,同じメンバーで,指揮者だけが代わって「第九」の演奏会がありました。指揮はこちらも故人となったチェコのズデネーク・コシュラー。やはり前日のリハーサルがあったので,コーラスはマルカートで歌っていました。コシュラーさんは言いました。「皆さん,どうしてそんなに乱暴に歌うのですか。『人類皆兄弟~』と歌うこの旋律は,レガートで美しく歌わなければなりません」。

 同じ旋律を扱いながら,一方はマルカートで力強く,片方はレガートで美しく。まさに解釈と表現を象徴するような出来事でした。

言葉と音楽 リズムが大切

 絵画や建築といった空間芸術と違って,時間芸術,再現芸術である音楽は,扱う素材は同じでも,再現者によって同じ形はあり得ません。器楽が純粋に音の世界であるのに対して,声楽は言葉,文学と結びついています。言葉にはリズムがあり,音楽にもリズムがあります。両者のリズムがぴったり一致したときに,理想的な歌が生まれます。

 普通,作曲家は歌曲をつくる時,その詩を何度も朗読して,詩の持つニュアンスをつかもうとします。一方,そういうことには余り拘泥しないで,自分の曲想の赴くままに作曲する人もいます。初期のシューベルトなどはその例といえるでしょう。

 彼は1番,2番,3番と,同じ旋律に違った言葉をつける,いわゆる「有節歌曲」をたくさん作曲しました。実はこれが声楽家にとっては厄介なのです。

 私が高校生時代のことです。当時私はイタリアの歌が好きで,トスティーの歌曲などをよく口ずさんでいました。いずれも優しく,甘く流れる歌ばかりでした。ところがある日,ラジオから流れてきたシューベルトの「An die Musik ― 音楽に寄す」という歌にショックを受けました。優しい歌ばかりになじんでいた私にとって,5度も6度も大胆に跳躍する音楽は驚きでした。

 イタリア歌曲の「情緒」の世界に対し,ドイツ的な「知」の世界を感じたわけです。

 本格的に声楽の道に進むようになった時,真っ先にこの「An die Musik」に飛びつきました。ところがこれが有節歌曲だったのです。

 先生の前で1番も2番も同じニュアンスで歌ったところ「蔵田,それではだめなんだよ。1番と2番では言葉が達うだろう。つまり,Du holde Kunst(清らかな芸術)は,holde Kunstが主語だから当然ここにアクセントが来る。でも,2番の Oft hat ein Seufzer(ため息)では,ein Seufzerが主語だから,最初3拍目にあったアクセントが4拍目に来るわけだ。まず主語と述語,語幹と語尾の関係をしっかりつかめていないと,本当のドイツリートにはならないんだよ」と言われました。  

 歌の上手,下手の最初の分かれ道はまさにここにあったのです。

 自分のイメージが壊されるのを嫌う作曲家は,楽譜にその演奏法までも事細かく書き入れます。一方,楽譜には音符以外,余計なことは書かないという作曲家もいます。すべては楽譜から読み取ってくれというわけです。シューベルトなどはその部類に入るでしょう。

 言葉と音楽についての関係についてお話ししたのですが,これに演劇が加わったオペラとなると話はさらに複雑になってきます。音楽の場合はすべて楽譜に書かれていますので,そこからの解釈,表現ということになりますが,演技については何も書かれていません。すべては演出家の解釈に委ねられるわけです。

オペラの感動 背筋に電流

 オペラというのは最も華やかで最もぜいたくな舞台芸術です。私どもの公演でも物によっては1回で7千万円かかってしまいます。国の助成はあるものの,総経費の3分の1以下と決められていますので,あとは自分たちの努力と,企業各社のメセナ活動にすがるしかないというのが実情です。オペラ出演によって生計を立てるという意味では,日本には残念ながらオペラ歌手という職業は存在しません。では,どうしてそこまでしてオペラなのでしょうか。

 3年間,ひたすらピンカートンの帰りを待ちわびた蝶々さんの耳に折しも聞こえた大砲の音。船が入った! 望遠鏡をとって船名を確かめようとします。でも,手が震えて読むことができない。「スズキ,名前を読むから手を押さえてて! 名前は,名前は,アブラハム・リンカーン! ほらごらん,言ったとおりでしょう! 皆は私をばかにしたけど,彼は帰ってきた! 私が勝った! 私の信頼が勝った!」― 背筋をゾクゾクと電流が走る瞬間です。

 私は,人間の生きた価値というのは,どれほど多くの感動を味わったかに比例すると思っています。この背筋を突き抜けるような感動を1人でも多くの方に味わっていただきたいと頑張っているわけです。

 水野晴郎さん風に言えば,「いやー,オペラって本当にすばらしいですね!」。よろしくご支援のほどをお願いします。