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2007年12月14日(金)第4,188回 例会

日本人の心の枠組み

上 山  大 俊 氏

浄土真宗教学伝道研究センター
所長
上 山  大 俊 

1934年生まれ。西本願寺寺院住職。龍谷大学文学部卒業。同大学院修士課程修了。龍谷大学教授,同学学長を歴任。文学博士。
著書に『敦煌仏教の研究』『仏教を読む』『金子みすゞ いのちのうた』など。

 日本人は何を考えているかわからない,どうもものがはっきりしないというような非難を,しばしば浴びせられてきました。ところが,最近,やっぱりそれでいいんじゃないか,日本人は実はすばらしい心を持っているんじゃないかと,むしろ外国人から言われるようになりました。

「和の精神」を一番大切に

 先日,中国・大連市で講演する機会がありました。私たちの日本の国の考え方とか思想というものは,中国からほとんど全部と言っていいと思いますが引き継いでいます。ご承知のとおり,仏教は538年,欽明天皇のときに日本に来たと言われていますが,その後,聖徳太子が十七条憲法を発布され,私たちの精神の中心を仏教に置くように指導されてきました。余り意識しませんが,私たちの心はほとんど仏教の影響で成り立っているのです。

 「和の精神」がその基本です。聖徳太子の十七条憲法には,「一に曰く,和(やわらぎ)を以(もっ)て貴(たっと)しとし,忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ」。当時の倫理規定でしょうけれども,第一条にそれを持ってきてます。戦争中であっても,「和」が大事だということでずっと日本人は育てられてきているということ。これがまさしく仏教の思想から来ています。

 なぜ和が必要かというと,争いますと人の命がなくなるからです。これは現代でもそうです。テロの応酬がありますが,自分の自己主張をしていきますと,必ず争いになって戦争まで発展する。その前に人の和を実現していかなくちゃいけないというのが,いろいろな争いの経験から出た聖徳太子の見解でした。

 それを実現するには仏教でなくちゃいけないということで,「二に曰く,篤く三宝を敬え」ということを申しました。自分はこう思うというようなことがありましても,「皆さん方がそれでいいとおっしゃればそうしましょう」と言って譲りますね。自分が強い主張をすることによって,場の雰囲気を乱してはいけない,人々の和やかな雰囲気を壊してはいけないという配慮が日本人は先にあるのです。つまり,人と人との間の関係に私たちは基準を置いて正しさというものを判定している。実は,これは非常に大きな特色なんです。

「お互い様」の考え方こそ

 先ほどちょっと申しましたが,日本人が「和」ということを第一の価値に置き,「さからうことなきを宗とす」というように,争いというものを避けるということ。争えば命がなくなる,この命こそが大事という考え方はまさしくお釈迦様の考え方です。

 「人身享け難し」,人間と生まれることは大変まれなことであって,得難い命であるということ。これは,誰も命あるものはそう思っているんだということを前提として,この命をいかに生きるか,そして,いかに守るかということ。これが実は仏教の根本的な願いなんです。これがほかの宗教になりますと,失礼かもしれませんが,神の命令のほうが先に来る,神の正義が先に来る。

 その「和」をどうやって実現するかということが第十条で出てくるのですが,一つは,お互いが凡夫であるということを自覚せよという言い方。お互いに欠点があるということ,間違いを犯す存在であるということを自覚するということ。それによって本当の友情関係といいますか,つながりができてくるという考え方です。これが実は日本人の恥の文化に展開してくるのです。

 「お互い様」という論理です。これはほかの国ではわかってもらえません。日本はその論理を持ってきますから,ほかの国にはどうしても理解してもらえない。「お互い様です」という形で,お互いの欠点を認め合いながら,また,自分もやるかもしれないということを前提としながら許し合っていくという形です。これも実は仏教から来ているんです。

「命の平等」は仏教の教え

 私は山口県の仙崎の生まれで,今大変に有名になりました詩人の金子みすゞの出身地でもあります。金子みすゞの詩の心が,私たちの忘れかけている日本の心を呼び覚ましていると,たくさんの人が仙崎に来ておられます。

 我々に一番感動を与える詩が,「大漁」という詩です。

  朝焼小焼だ 大漁だ

  大羽鰯の 大漁だ

  浜は祭りの ようだけど

  海のなかでは 何万の

  鰯のとむらい するだろう

 これは最近小学校の教科書に載っておりますから,小さい子たちはほとんど知っています。この詩を聞いて,皆がびっくりしたんです。イワシの命と人間の命を同じだと見ている。イワシも命がある限り悲しいだろうという思いやりです。

 たった一言で,私の命が大事,大事と思っているのが,世界じゅうの命が大事だということに展開していく。実はこれが仏教の教えなんですが,みんな生きているもの命を大事にしているという広がりを持って,命の大事さが認識されてくるわけです。そういう心の構造,ものの考え方,価値観というものを仏教が与えているということをまず紹介しておきたいと思います。これが平等なんです。

 お釈迦様は,人間というものは,根本的に生まれや民族などによって差はないのである。お互いの行動,言動によって差がついてくるという言い方をされています。この教えも日本に定着していると私は思います。差別とか何とか言いますが,根底的に同じ命を生きているんだということ,この考え方も私たちの心の一つの柱になっているということをご紹介しておきたいのです。