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2007年10月19日(金)第4,181回 例会

米山奨学生として日本に学んで

マダニ・モハマド 氏

米山奨学生 マダニ・モハマド 

1978年イラン生まれ。10歳で英国へ移住,英国籍。’97英国の高校,’02ハル大学修士課程を終え,’02~’05年岐阜県瑞穂市で英語補助教員を務め,’06年から大阪大学大学院理学研究科化学専攻博士課程に入学。’07年4月から2年間の予定で米山奨学生,当クラブ受入れ。

 何を話そうかといろいろ考えたんですが,頭がグルグルしてきました。今,ドキドキしています。日本語が下手だから,もし間違えたらすみません。

日本の学校で英語教師も

 私は大阪大学の吹田キャンパスで物理化学を研究しています。専門は,シリコンカーバイトの研究で,テーマは「化学プロセスを用いた半導体デバイスの改質」ですが,専門のことを話したら皆さん眠くなるからやめます。もし細かいことを知りたかったら,私の先生の小林光・阪大教授に聞いてください。小林先生は,私の日本のお父さんみたいな人で,よくいろいろなことで助けてくれます。

 今は大阪府茨木市に住んでいます。私の日本の故郷は岐阜県です。穂積町と合併して瑞穂市になった巣南(すなみ)町で3年間,小中学生にAssistant Language Teacherとして英語を教えました。

 生まれはイランの一番北,カスピ海のすぐ近くのギラン州ラシットです。人口は70万人ぐらいで,カスピ海まで車で30分ぐらい。気候は日本と似て四季があります。夏は蒸し暑く,冬は雪が降ります。日本人はびっくりしますが,スキー場もあります。カスピ海で有名なのは「キャビア」です。小さいころはよく食べました。キャビアのとれるチョウザメのケバブはおいしいです。オレンジジュースもおすすめです。日本と似てビワやイチジクがとれ,果物ではザクロをよく食べます。田んぼがたくさんあって,お米もとれます。

 日本人に「イラン」と言ったら,「イラン,要らん」と言われるので,ちょっと腹が立ちます。「なぜイラン,要らんか?」といつも聞きますけど,それにも理由があります。イランの昔の名前は「ペルシャ」でした。ペルシャと言ったら,皆さんいいイメージがあります。例えば,ペルシャ猫とか,ペルシャじゅうたんとか,「ペルシャは歴史あるなぁ」と思うんですが,イランと言ったら,「危ないね,大変ですね」と思う。それはそうです。

コミュニケーション大事

 歴史は戦争と関係あります。イランの歴史はとっても古いですが,それは戦争と関係あります。まずは,ダリウス大王がこの地域を統一しました。彼は共和国をつくりましたが,アレキサンダー大王に負け,今度はアレキサンダー大王がこの地域を支配しました。ペルシャの文化はそのまま残され,発展しました。その後,チンギスハンやイスラム教徒による支配を受けて今のような形になりました。

 日本に来てから,国際交流のイベントによく参加しました。そのときに一番大事だと思ったのはコミュニケーションです。スピーキング,ジェスチャー,何でもいい,コミュニケーションは大事です。今はインターネットが便利で,誰とでも,どこでも話ができます。日本人はいろいろなことを考えていますが,そんなに話をしません。それが日本の文化ですが,もっとコミュニケーションすることが大事です。

 日本に来たばかりのとき,1週間ぐらい東京の新宿でいろんなオリエンテーションを受けました。歌舞伎町や渋谷があって,おもしろいなと思った。新幹線に乗って富士山を見て,日本はすごいと思った。岐阜は田舎でしたが,日本人の本物の生活を見ました。

 日本人は箸を使います。イランでは昔,手を使いました。ヨーロッパではスプーンを使います。箸を使うのは難しかった,でも今は,スプーンより箸のほうが好きです。便利だと思います。日本の文化についても勉強しました。例えば,吉川英治の『宮本武蔵』の本を読んだり,生け花もやったり,柔道もしました。今は一級です。初段のテストは高校生に負けたんですが、日本の高校生は強すぎる。日本にいる間に初段が欲しいです。

イランと日本の架け橋に

 イランに住んでいたとき,イランとイラクの戦争を生で見たことがあります。戦争を体験したから話したいです。戦争は,どこでも,いつでも,だめです。8年間の戦争で,100万人の人が死にました。私の家族も戦争に行って,足に大けがをしました。戦争は意味がないです。

 イランとイラクの戦争,イラクとアメリカの戦争,次は多分イランと何とかの戦争……,毎日インターネットを見ていますが,本当に腹が立ちます。戦争は意味ないです。もしコミュニケーションがあったら,戦争を防げると思います。だから,コミュニケーションは大事です。

 私は10歳でイギリスへ移住しました。イギリスに移住する前の5カ月か6カ月は,ドイツのヘッセン州のダーミシュダットに住んでいました。トルコ人がいっぱいいるから,「ドネルケバブ」もおいしかったです。イギリスへ移住したときは,サッカーを通じてコミュニケーションでき,友達がいっぱいできました。日本では,柔道を通してのいい友達を見つけました。だから,スポーツを通してのコミュニケーションも大事です。

 イギリスでのマスターコースでは,液晶の研究をやりました。その後1年間,British Petroleum(英国石油)で働いたことがあります。私は,教育が重要だと考えて,イギリスの大学のPhD(大学院)コースに行きたかったのですが,残念ながら入れませんでした。そして,小さいころから日本のアニメーションの「みなしごハッチ」や連続テレビドラマ「おしん」を見て興味を持っていたし,日本のゲームも大好きだったので,1年だけ日本に行こうと思いました。それが,もう5年半になりました。日本の生活が終わったら,もちろんPhDが終わってからですが,夢はイランと日本とイギリスの架け橋になることです。