大阪ロータリークラブ

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2007年7月6日(金)第4,167回 例会

新年度を迎えて
ー君子のごとき「個人」の交わりをー

小 谷  年 司 君(時計輸入・販売)

新年度会長 小 谷  年 司  (時計輸入・販売)

1937年生まれ。'60年京都大学文学部フランス語学科卒業。パリ大学,フロレンス大学に留学し,京大フランス語科修士課程中退。'64年4月栄光時計入社,'82年社長。著書に「ルネッサンス画人伝」(共著)など。'80年当クラブ入会。幹事,S.A.A.,青少年・理事,地区国際親善奨学生委員,地区幹事,副会長・理事などを歴任。PHF・米山功労者。

 これから1年間,会長を務めさせていただきます。よろしくお願いします。

 私,びっくりしたんですが,2660地区の会長の研修会に行ったら,クラブ在籍26年というと一番古かったんです。いろんな会に入れていただいていますが,大阪ロータリークラブくらい居心地のいいクラブはありません。どこからこういう気持ちよさが出てくるのかなと考えると,「君子の交わりは淡きこと水の如し」という感じだろうと思うのです。

世間をまず考える日本人

 入会したとき,会員の方の卓話を聴きました。外国を旅行すると,例えば朝,寝台車で目覚めて顔を洗っているとき,見知らぬ日本人同士が会ってもあまり物を言わない。何故なら,日本語には敬語があるので,「おはよう」「おはようございます」を使い分けなきゃいけない。相手が若くても「おはよう」で済まないときがある。結局「面倒臭いから言わんとこ」というのじゃないかと話されました。実にうまく言い当てたなと思いました。

 ここに新入会員がおられますが,まず「私は,○○の何々です」というふうにおっしゃって,「私は何々ですが,たまたま○○で勤めております」とおっしゃる方は非常に少ない。なぜでしょう。

 テレビで立派な方が「世間を騒がせてまことに申しわけありません」と言って頭を下げます。世間のどこに迷惑がかかったのかなぁと私は考えてしまうのですが,日本人には,この世間というのはよくわかるわけです。

 世間体が良い悪い,世間様に顔向けがならない,世間知らず,世間に通用する,世間が広い狭い…。これは英語にもフランス語にもドイツ語にも訳せません。

 ドイツ中世史の研究家で一橋大学学長を務めた阿部謹也さんが指摘しています。

 西洋の個人主義は11~12世紀から個人が国家や社会や宗教と戦って,少なくとも800年くらいかかって確立した。ところが,日本では「何藩の何々」「何とか村の何とかベえ」とかいうのがほとんどだった。これが明治に西欧の概念を全部引き受けたので,「個人」も西欧の「インディビデュアル」をそのまま引き継いだ。しかし,西欧人が考えている個人と日本人が考えている個人とは違う。日本人は一緒だと思っているが,まったく違う。

 では,なぜ個人の概念が簡単に日本に入って来たのでしょう。「世間の中の個人」ということで,素直に認められてしまったということだろうと思います。

返礼を求めない西欧社会

 これは阿部さんの説に従うのですが,日本の世間は,物をもらったり,あげたり,報酬つまりお礼をしたいということから主に成り立っています。日本人は外国へ行くと,お近づきのしるしとか,名刺代わりとか言ってお土産を出しますが,西欧では大抵,奇異な顔をされます。「何で私にこれをくれる。底意はどこにある」となります。日本の社会というのは,あげたり,もらったりで成り立っているということが,だんだんわかってきたというのです。鋭い指摘だと思います。

 (新約聖書の)ルカ伝に,イエスの言葉として,次のように書かれているそうです。

 「午餐または晩餐の席を設けるときには,友人,兄弟,親族,金持ちの隣人などは呼ばぬがよい。恐らくは彼らもあなたを招き返し,それであなたは返礼を受けることになる。むしろ,宴会を催すときには,貧乏人,身体不自由な者,盲人などを招くがよい。そうすれば,彼らは返礼ができないから,あなたは幸いになるであろう。正しい人々の復活の際には,あなたは報われるであろう」

 キリスト教は返礼をもらわないのが基本。日本はずっと返礼があるのが前提の社会でした。西欧社会にも汚職はありますが,それは確信犯です。日本では,何となく何となくになって,結局捕まったというケースが多いんじゃないでしょうか。日本の世間でわからないのは,私は体育的な人間じゃないですが,体育系では1年先輩がすごく威張っていることです。長年いる人が偉そうな顔をしています。「長幼の序」というものもあります。

 夏目漱石は大正3年に学習院で行った「私は個人主義」という講演で,英国へ留学して非常に苦しんだ体験をあげ,「英国人の言ったことが私は一つもよくわからない。(中略)わからないが,日本人として何がわかるかということを本気になって考えたときに,初めて私自身の安心立命の境地を得た」と述べています。個人が成り立つには,なかなか時間がかかる。そして,個人主義が成り立つと,相手の個人も尊敬する。自分の個人を尊敬してもらうためには,相手の個人を尊敬しなければならないということが出てくるんだ,と漱石は言っているわけです。

85年前からの自由な伝統

 私が大阪RCに来ていつも思うのは,皆さんが本当にそういう意味の個人の確立をなされた方で,会ったときに非常に親しく,別れると相手に干渉しないという,この精神があるから楽しいのかなということです。85年前からの伝統も恐らくそうであったようで,10年史,50年史だとかの文章がたくさんあります。ご覧になると,すばらしいクラブだなということがわかると思います。

 26年前に私が入会したときの会長は,大阪ガスの安田博さんでした。ちょっと西郷隆盛のような感じで,こんな立派な親分の会社はきっとよくなると,尊敬をずっと持っています。私が話をするのにまず考えたのは安田さんのことでした。校長先生の講話を聞いた小学生が校長の立場になったような,複雑な気持ちです。ご清聴ありがとうございました。