大阪ロータリークラブ

MENU

会員専用ページ

卓 話Speech

  1. Top
  2. 卓話

卓話一覧

2007年3月23日(金)第4,154回 例会

千利休の美意識を読む

戸 田    博 氏

谷松屋 戸田商店 戸 田    博

1949年谷松屋一玄庵戸田鐘之助の長男として大阪に生まれる。3年間のアメリカ留学を経て,'73年東京の弥生画廊に入社。修行を重ね'76年に谷松屋戸田商店に入社。現在,代表取締役。当代で12代目。

 手前どもは元禄時代に唐物商――その当時,茶の湯が世間に定着しまして,商売として船場に生まれましたのが,唐物商です。私の住んでいますのは伏見町ですが,豊臣秀吉が京都・伏見から唐物商を連れてきて,集めたのが由来です。手前どもも,京都にも店がありましたが,明治維新で千家の家元たちが失職,大名は取りつぶされ,唐物商も,たち行かなくなって,京都の分店を引き払って大阪に統一しました。

玩物喪志の戒め

 きょうは,利休がどんな道具を残していったのかを,ご紹介したいと思います。

 日本で茶道の風習は,平安の初めに中国からきて始まりました。鎌倉時代には禅院を中心に中国式の喫茶法で飲んでいたようです。室町時代には唐物尊重の茶の湯が成立します。中国からいろんな道具が入ってきて,唐物として非常に尊重されました。その後に村田珠光や武野紹鴎,そして利休が登場します。

 わびの美意識は,この時に生まれました。利休は,独自の茶の美術をつくり,その後の日本人の生活に大きい影響を与えます。利休の感覚や美意識を紹介したいと思います。

 「花活け」というものがあります。わび茶の四畳半などで,花を活ける道具。利休以前の道具は,中国渡来の物を後の時代にコピーして使っていたようです。こういう道具を大名たちが買いあさっていました。

 利休はこれに非常に批判的で,道具に意識が過ぎているのではないか,お茶は飲むことのほうが大切なのではないかと―。

 利休が考えたのは「竹花活け」でした。裏庭でただ竹を切って花を活ければ十分だというアイデアです。本来,使い捨てですが,今日まで伝えられてきたものがあります。一種の利休の形骸化といいますか,利休の本来の意識からはずれた伝え方ではあります。

 お茶のときに水を入れておく水差しも,中国の豪華絢爛の道具に対し,利休は木で作った使い捨ての「木地の釣瓶の水差し」を考案しました。

 輸入された天目茶碗に対しては「楽焼」を示唆して作らせました。茶室も畳2枚ですべてが表現できるとしました。

 利休の精神は,禅に基づき,単純かつ明快で,本質を見失わないよう示唆するのです。

利休を継ぐもの

 利休は,1522年に堺の今市町で生まれます。若いころから茶の湯を学び,48歳で織田信長にお茶を点ててデビューします。

 1582年の本能寺の変の際,利休は60歳。本能寺の変の2年後,1584年に秀吉が天下を治め,利休は秀吉の茶頭になります。文化の世界でトップに就くわけです。70歳で切腹を命じられます。

 切腹を免れることはできたようですが,利休はそれを拒み,自害を選びます。利休には,結構商売人であるとか,たくらみを持つ人であるなどの風評がありましたが,自害を選ぶことですべてを消し去ってしまい,神格化します。

 こうして,非常に強かった利休の意識を,今日,誰がどういうふうに,どのぐらい受け継いでいるのでしょうか。

 明治維新で世の中が大きく変わりました。そして,第二次世界大戦の敗戦で,戦前にはいた,利休たちの意識を受け継ごうとしていた識者が大きなダメージを受けました。

 敗戦後,アメリカに追いつけ追い越せが始まります。つまりアメリカの文化がすべてというなかで,われわれは生まれ育ちました。

 歴史も,宗教もわからない。さらに,右肩上がりの経済の階段を上っていく経済至上主義の時代で,皆が持っていた重い荷物,着ていた重厚な服を脱ぎ去ります。素っ裸で,経済の頂点に立ち,ロックフェラーセンターを買ってしまった時期もありました。

 しかし,今,振り返りますと,着ていた服,重い荷物が何だったかと言えば,文化と教養だったとわかります。

和の心

 その文化と教養を改めて持ち直して,今度はもう少しゆっくりしたスピードで階段を上っていけないだろうかと,私は切に願っています。「文化でめしが食えるか」と言われた時代もありました。私は,文化なき経済はあり得ないと考えています。

 世界からみて,日本の対応が低レベルで,認められないのは,自国語もはっきりしゃべれない日本人が増えているからではないでしょうか。自国の文化,教養,歴史を知らない人が増えているからではないでしょうか。こうしたことが,すごく大切だということを,学校の現場で考え直す時期に来ているのだと思います。

 幼稚園や小学校はもちろん,中学校にも和室のあることが,いかに重要なことかを,学校の人にわかっていただけません。お茶や華道をやれというのではなく,和室に座った経験がなければ,世界で日本のことを話せないのではないかと思うからです。

 企業の皆さんにもお願いがあります。ぜひ和の文化を大切にしていただきたい。国際的になるためには,ぜひご自分の会社の中に一室でもいいから和室を設けていただきたい。和室を使うことのできた社員の方々が,世界に出ていけば,日本のことを説明したり話したりするときに非常に手助けになると私は確信しております。

 文化に対しては,なかなか行動を起こせないのが事実であります。理屈ではわかっていても,難しい問題がさまざまあります。

 しかし,少なくとも子どもたちの時代,お孫さんたちの時代には,もう少し違った形で文化をとらえる日本人が出てきてもいいのではないでしょうか。