大阪ロータリークラブ

MENU

会員専用ページ

卓 話Speech

  1. Top
  2. 卓話

卓話一覧

2006年8月25日(金)第4,127回 例会

自転車一周。走ること,生きること

シール・エミコ氏

サイクリスト シール・エミコ

1989年豪州で,夫であるスティーブ・シール氏と出会い,世界一周の自転車旅行を開始。 '01年パキスタンでガンの告知を受け帰国。4年後,旅を再開。17年間をかけ79ヵ国11万2,000kmを走行。残り7,000km, '08年のゴールをめざす。現在,奈良の古民家で半自給自足生活を営みながら講演活動中。著書多数。スティーブ氏は写真家,英語教師。

 自転車での世界一周は,足かけ17年かかり,気づけば40歳を越えました。旅は終わっていませんが,大変だったこと,楽しかったこと,普通では経験できないことを,お話しさせていただきたいと思います。

銀輪とともに

 ドライヤーを口にくわえたことがありますか。ないですよね。私たちもありませんが,同じような経験をしたことがあります。世界一周7年目のサハラ砂漠では,気温が58度。水は持っていましたが,すぐに2日以内に給水をしなければ死んでしまうという状況になりました。それでも前に進むしかない,後ろに行ってもどうしようもない。そして,大砂嵐。「すばらしい経験だったよね」と砂をかき分けながら,感激したことを覚えています。

 アフリカのザイール(現コンゴ)のときは,情勢もよくなく,避難民のジャングル・ルートから国境を越えました。アマゾンのジャングルは約3カ月間,走りました。次の町・マナウス(アマゾン川流域の都市)まで500kmのときは,2人で11日分の食料を持って走りました。現地の人は自給自足。「食事をしていかないか」といわれ,家に入りましたら,サルがぶらさがっていて,サルのバーベキュー。さすがに「お腹がすいていない」と遠慮させていただきました。

 旅の途中,パキスタンでガンを告知されました。子宮ガンで転移もありました。600km走った町の病院で,「早く手術しないと死ぬ」と告げられ,帰国。旅が中断する悔しさ,子どもが産めない悲しみ,何よりも自分の命が危ない状況。最も悲しかったのは,一緒に走ってきたパートナーのスティーブと別れねばならないかもしれないことでした。

旅の再開

 病気になってからは,まず情報を集めました。なぜガンになったのか,どうしたらいいのか。いろいろ調べまして,まずストレスの溜まらない生活,食事を変える。今,奈良の山奥で,自給自足の生活をしています。そこからたくさんの生命力をいただいています。ガンから学んだこともあります。怖いと思っていたときは治療も,薬も効きませんでした。薬を飲むことで「治る」と信じなければならなかったのです。余命半年と言われましたが,泣いていても同じ,最後まで笑って過ごそうと思いました。そして5年間,私は元気に過ごさせていただくことができました。

 旅はまだ途中。中断したパキスタンに4年後,戻りました。パキスタンからインドへ。ガンジス川で祈りました。病気になってから本当に祈ったのはただ一つ,「生きていきたい」ということでした。ガンジスでは,人間は心と体が一つになって生きている,宇宙のレベルからすれば人生80年はまばたきの一瞬,と感じました。体はお借りしているもので,どれだけ長く生きるかではなく,深く生きていこうと,改めて生と死について考えることができました。そして道はネパールへ。初めてヒマラヤを見て,やっぱり生きていてよかったと感激しました。

 復活の旅は2年目。ゴールが向こうに見えてきました。チベットと中国の境。病気になってからは,旅に出るのは1年に3カ月ずつでした。スティーブに「ありがとう」と言いましたら,「僕たちの旅はこれからも続くんだよ」と言ってくれました。

地平線の向こう

 母が再婚したとき,負担をかけたくなくて,高校を出てすぐに家を出てしまいました。生活費,専門学校の学費とかいろいろ大変で,挫折,挫折の人生でした。夢もないし,友達もほとんどいなかったし,したいこともわからない。生きる意味に,すごく疑問を感じ,自殺を考えました。でも,死ぬ気なら何でもできるという気になり,1つだけ,1度だけの人生に何かを賭けてみようと,勇気がわいてきました。何でもできるような気がして,自転車世界一周の旅に出たのです。

 17年間のうち7年間は発展途上国を走っていました。学校に行きたいのに行けない,親も食べ物もないのに生きる意欲を失わない子どもたち。自分の悲しみがちっぽけに感じました。

 世界一周に命を賭けて走っているうちに,まず自分を愛せるようになりました。そして初めて人を愛することができました。初めて人が愛してくれることを感じました。愛を,目に見えないものをつかむことができたことに,大変な生きがいを感じました。

 2回目の命と向き合ったガンの闘病では,病気の人の痛みがわかるようになり,心の真の恐怖もわかるようになりました。勉強させていただいた,と思っています。ガンは私の人生にとって悲劇ではなく,人生を豊かにしてくれるものだったんだと気づきました。

 まだ旅は続きます。来年,またネパールに戻りまして,チベット,中国へ。チベットには5,200mの峠越えが待っています。それでも日本に,確実にゴールに向かっているという希望を持って,進んでいきたいと思います。

 今回はモンベルの辰野勇社長からチャレンジ賞をいただきました。人生で賞をいただいたのは初めてです。この17年間の旅が,人生の大学で,その卒業証書を得られたような気がします。これからは子どもたち,なかでも貧しい子どもたちを中心に,何かお手伝いを,貢献をさせていただきたい,それが今,本当にやりたいことなのです。

 結局,世界一周で得たのは,ただただ自転車で走ったとか,何ヵ国行ったということではなくて,生き方を教えてもらった気がします。