大阪ロータリークラブ

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2006年8月18日(金)第4,126回 例会

夢と冒険・遊(ゆう)ビジネス

辰 野   勇 君(運動具販売)

会 員 辰 野   勇 (運動具販売)

1947年生まれ。大阪府立和泉高等学校卒業。本業の傍ら,琵琶湖成蹊スポーツ大学客員教授や,社会福祉法人・東大寺整肢園理事などを務める。アイガー北壁日本人第二登,マッターホルン北壁登攀。コロラド川をカヤックにて日本人初下降。黒部川峡谷カヤック初下降,など。当クラブ入会は'05年9月。PH準フェロー・準米山功労者。

 私の略歴,経歴などを交えて自己紹介のつもりでお話しさせていただきたいと思います。

2つの志

 堺市で生まれました。小さいころは体が弱く,小学校高学年の金剛山雪中登山に行けず,コンプレックスになりました。中学から基礎体力もでき,人並みに山登りができるようになりました。岸和田の高校に進学,高校1年生の国語の教科書で衝撃的な出合いがありました。オーストリアの登山家でハインリヒ・ハラーの著書「白い蜘蛛」の1節で,欧州アルプスの三大北壁の1つ,アイガー北壁の初登攀の話です。

 ハラーは,1938年,難攻不落だったアイガー北壁を登りました。「白い蜘蛛」には,苦労の軌跡が克明に書かれています。アイガーの標高は4,000m足らず。その北面に1,800mの垂直の断崖の壁があります。ちょうど六甲山を3つ重ねてずばっと切り落としたぐらいの高さです。この北壁に惹かれまして,家に帰って「10年後には登るぞ」とまず,貯金箱をつくりました。さすが大阪の子どもでして,夢見るだけでは現実にできない,先立つものは――という訳です。

 同時に,もう1つの夢が生まれました。大人になったら山に関係した商売を始めようと志を立てました。16歳でした。目的が決まっていますから,大学に行く必要がなくなりました。親には信州大学の入試を受けに行くとウソをついて,穂高に登って帰ってきて,父親に「試験に落ちた」と言いました。既に名古屋の小売店の就職を決めていて,住み込みの店員として働き始めました。

夢の実現

 アイガー北壁の方は,すばらしいパートナーにめぐり会い,自分の山の技術も向上しまして, ’69年,スイスへ向かいました。横浜からソ連の船に乗り,ナホトカへ,ナホトカからシベリア鉄道でウィーンへ。スイスまでは2週間かかりました。そして,40日間,山の麓で天気を待ちました。山は技術で難しい上に,天候が影響します。怖がりなものですから,毎日,天気図をかいて,1週間の晴天が約束される大西洋と大陸の高気圧が一つの帯になるときを,ひたすら待ってアタック。「白い蜘蛛」というのは氷壁が蜘蛛の形に見えるから。そこを登らねば頂上へ行けない。その氷壁では頂上から落石があって,大勢が命を落としました。われわれも落石に遭い,直径11mmのロープが,3mmぐらいしかつながっていない状況にも直面しましたが,幸い頂上へ行けました。

 ビジネスの夢の方は16歳のとき,28歳で会社を始めようと心に決め,28歳の誕生日と同時に,モンベルという会社を立ち上げました。今年で31年目となり,お陰様で従業員も約700人になっています。

 私には,何となく命がけのことをするのが,いいことのように思っている節があります。米国人でコロラド大学の先生から「命がけで人のやらないことをやるのがいいことだと思ってる人は,せいぜい0.5%から3%」と聞きました。私は山でしたが,例えば医療の分野でも同じようにリスクを乗り越えてきた人がいます。そのわずかな人たちが世の中を作ってきた。「人間の限界を超えることをやる人たち」を神様はパラパラっとばらまいたのではないでしょうか。今まで,命がけの冒険者に,光が当たらなかった。われわれ冒険家にとって少し居心地が悪い環境があったように思います。

 集中力,持続力,判断力は,ある意味では最も大切な力かもしれません。うちの顧問弁護士さんに話しましたら,弁護士さんは「もっと大切な力があります。それは決断力です」。神戸大学の金井壽宏教授と対談した際,「決断力」の話が出ました。「30年間の会社経営で,どんな決断がありましたか」と金井教授。私は数えられました。7回。将来を見据え,あえて困難な方を選んだとき――これが私の7回の決断であったように思います。山ではぐずぐず考えていたら手遅れですから,瞬時に選ぶ力を身につけることができたのかな,と思います。

冒険の向こう

 また,いろいろな冒険で,思い出に残ることがたくさんありますが,アッツ島の話を――。米国通信販売の会社の創業者に誘われて,豪華ヨットでカムチャツカからアリューシャンへの旅をしたとき,アッツ島に上陸しました。戦争中,約2,700名の兵士のほとんどが玉砕した島です。島の丘の上から見ると,霧が深く立ち昇り,若い兵士のざわめきのようなものが聞こえました。夏でして,艦砲射撃で作られた跡に花が咲いていました。私は最近,どこへ行くにも笛を持っていまして,霧の山頂で笛を吹きました。1曲,吹かせてもらいます。

 (横笛演奏)

 他にもいろいろな曲を吹きましたら,霧が晴れ,青空が抜け,虹が出ました。鳥肌が立ちました。他の人たちから「こんな時期に青空がみえるなんて,信じられない」と言われました。さて,ヨットで出航しようとしたら,錨が揚がらない。もう1曲聴きたいのかな,と思い,甲板で1曲吹くと,錨がガラガラガラと揚がりました。油壺のように穏やかな海を進み,振り返ったら島は再び霧の中に隠れていました。

 お話ししたい冒険は,いっぱいあります。またの機会がございましたらということで,これで私のお話とさせていただきます。