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2003年8月8日(金)第3,987回 例会

最新の中国事情ー新指導体制の内幕ー

杉本 孝 氏

大阪市立大学大学院創造都市研究科教授 杉本 孝

東京外国語大学(中国語)、東京大学(法)卒業。1974年新日鉄(株)入社。80~89年中国協力本部(北京、上海駐在)。90~92年世界平和研に出向、対中政策の企画立案を担当。 95年退社。東大大学院(経)博士課程を修了後、01年~新潟産業大学教授。03年4月から現職。 主な著書 : 『移行期中国の産業政策』『中国国有企業の改革について』等

 本日は昨年11月に選出された中国共産党第16期指導部の陣容を紹介し、中国を巡る諸事象に対する思考の枠組を提示します。そして彼らの極めて長い時間軸、戦略的思考、及び濃厚な交際文化につきお話しします。

 中国共産党員は13億の人口の約5%に当たる6600万人。ここから約2000人が選出されて全国代表大会に出席します。任期は5年で、中央委員会と規律検査委員会の委員選出が最も重要な任務です。更に中央委員会を母体に中央政治局と中央軍事委員会メンバーが選出されます。これが中国の権力中枢です。

院政体制確立への執念

 党の全国代表大会は毎年9月下旬から10月中旬に開かれます。ところが今回は10月下旬に江沢民とブッシュの会談がセットされたため、11月にずらされました。現役総書記としてのブッシュとの会談を党の公式日程より優先したといえ、ここにも江沢民の院政体制確立への執念が顕われています。

 江沢民の後継指導者となった胡錦濤はこの時59歳。10年前に次代を担うリーダーとして★小平(トウショウヘイ)に抜擢され、第14期の政治局常務委員に選出されました。序列は最下位の7位でしたが、第15期では5位に上がりました。2人の体質はかなり違います。江沢民は電子工業部や上海市などを経て中央入りし、改革開放の陽の当たる道を歩んできたといえます。

 他方、胡錦濤は共産主義青年団、貴州省、チベット自治区などを経て中央入りし、青年の育成と最貧地域や少数民族地域での行政に長く携わってきました。改革開放から取り残された人々の痛みを理解できる人物と思われ、腐敗のうわさはありません。

 江沢民は今回の改選で平党員になりましたが、中央軍事委員会主席のポストは放しませんでした。改選直後、中国外交部幹部は「今回の人事で江沢民の地位は上がった」と説明しています。中央政治局ではトップの胡錦濤が、軍権に関しては平党員の江沢民の指揮に従わねばならない異常な状況が生じています。

序列第2位の呉邦国は上海で江沢民の部下として仕え、今回は江沢民から指名されたと言われています。3位の温家宝は朱鎔基から指名されました。1989年の天安門事件の際、趙紫陽とともに広場の学生のもとに駆けつけており、民主化に同情的人物と思われます。早くから朱鎔基総理の後継者と目されていました。趙紫陽との強い絆にも関らず政治生命を保ち得たのは、奇跡的と言われています。 (★は登におおざと)

恩と報恩の文化

 中国民族最大の特質は、日本人に比べ時間のスケールが長いことです。万里の長城は完成まで2千年の時間が費やされていますが、日本人は果たしてこのようなプロジェクトに着手できるでしょうか。長城建設の速度は匈奴の駆る馬の速度よりも遅いに決まっています。建設の度に繰り返される殺戮と破壊を思えば、そう簡単に建設は開始出来ません。ところが彼らはそれを開始し、そして終には完成してしまうのです。そこには自らの一生を超えたスケールで物事を発想する戦略性があります。それができるのは、「遺志は必ず受け継がれる」という確信があるからでしょう。彼らは遺志の継承者の確保に特別の犠牲を払います。親類縁者や少数の老朋友に対する献身的奉仕には、こうした背景があるのです。

 濃厚な交際文化は「恩と報恩」で支えられています。「三国志」で曹操に下った関羽はその思わぬ厚遇に報いるため、盟主劉備のもとに脱出する前に袁紹軍を破って恩を返しました。西安事件で捕らえられた蒋介石は、毛と周による思いもかけぬ助命に、第二次国共合作・抗日統一戦線の結成をもって報いました。彼らには、一度受けた恩は倍にして返さないと体面が保てないという意識があるのです。大人同士の交わりはかくの如しです。

 蒋介石が対日賠償請求権を放棄した時、多くの日本人が驚き、感謝しました。周恩来もこれを踏襲しました。彼らは日本を大人として遇したのです。ところが日本人は、予測を超える厚遇には、信じられないという面持ちで訝りながらこれを受けてしまい、いつかはこの恩を返さねば体面が保てないとは思わないのです。逆に予測を超える厚遇は将来の倍返しが前提だと知ると、日本人はそれを卑しいと感じる傾向があります。交際文化の異なる日中間の交流には、実は相互不信に陥りやすい危険な構造が存在しているのです。

米ロ対中国の構図

 雑阿含経の中に「四人の妻」の話があります。インドのある村にいた一人の男が四人の 以上を念頭に東アジアの国際関係を振り返りますと、1960年代は米国、ソ連、中国が敵対していました。米国にとり主要な敵はソ連でした。米中間はベトナム戦争で対立していましたが、国境を接する中ソの対立はもっと激しかった。中国は二正面作戦を強いられ、非常に辛かった。それを転換したのがニクソン訪中です。米国と中国は友好に転じ、ソ連を挟み打ちにする形になったわけです。

 その後天安門事件が起き、91年にはソ連が崩壊してロシアになりました。基本的価値観の西側との共有が可能となった訳で、これは大きな転換です。このままでは米国とロシアが益々仲よくなり中国に対抗しかねない、それを何とか回避したいという動きが、胡錦濤指導部成立後の歴史問題に関する対日姿勢の転換に表れています。福岡の一家4人殺害事件の容疑者とされる中国人就学生の捜査に対し、中国は異例の協力姿勢を見せています。江沢民時代に失われていた戦略性が回復されつつあるといえましょう。

 江沢民が腐心して築いた院政体制の中で、胡錦濤の権力掌握は意外に早いのではないかというのが直近状況からの私の印象です。