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2003年8月1日(金)第3,986回 例会

四苦八苦の中で

出口 湛龍 君

会 員 出口 湛龍

1951年生まれ。龍谷大学大学院卒業。学校法人相愛学園学園長・理事長。84年3月~現在、浄土真宗本願寺派大阪教区南郡組稱名寺住職。89年7月~現在、浄土真宗本願寺派宗会議員。
当クラブ入会:2000年8月。PH準フェロー、準米山功労者。(教育)

 お盆月ですので仏教の話をさせて頂きます。二千五百年前、お釈迦さまは「人生は苦しみである」と悟られた。このことを学校で生徒に話しますと「私らは若くて人生これからなのに、そんなこと言わないでほしい」と不満顔です。なぜお釈迦さまは「人生は苦しい」とおっしゃったのか。それには人の生についての根本的な問いかけがある。四苦八苦という言葉があります。「四苦」と「四苦」で苦しみは八つあるということです。初めの四苦は「生老病死」を意味し、体に関わる四つの苦しみを指します。人間の死亡率は百%ですから、これから逃れることはできません。

不如意だから苦しい

 後の四苦は心に関わる四つの苦しみです。それらは、何かを求めるのに得られない 「求不得(ぐふとく)」、親、恋人などいとしい人と別れなければならない「愛別離(あいべつり)」、嫌な者といっしょにいなければならない「怨憎会(おんぞうえ)」、生存していることそのものが苦しみである「五陰盛(ごおんじょう)」のことです。人はこの中でしか生きられない。これから逃れられないから苦しいのか。

 お釈迦さまは「人生は不如意だから苦しい」とおっしゃいました。それは人生は思い通りにならないのに、思い通りにやりたい私があるから苦しいということなのです。病気になると、隣の人は元気なのになぜ私だけが病気に、と比べるから苦しいということなのです。悪いことを転じて徳を成すといいますが、どう「転じて行く」かが仏教の真理であり、それが正しい知恵なんだということです。

 ですから嫌がっても四苦八苦から逃れられない。私はこの言葉が気に入っていて家の電話番号、携帯、車のナンバーすべて4989にしています。

 責任転嫁という言葉があります。嫌なことを嫁に転がすと書きます。他人に持っていくことですが、仏教ではそれを自分に持ってくるのです。窮すれば通ず、とも言いますが、行き詰まっても何とかなるということはありません。これは大事な言葉を省略したもので本来は「窮すれば転ずる」「転ずれば通ず」なのです。仏教は修行によって転嫁する知恵を学べと教えているわけで、私たちはその「転じる」ということを大事にしたいのです。

いかに転ずるか

 阪神タイガースの星野監督がまだドラゴンズの監督だった数年前の正月インタビューで新人選手を育てる苦労を聞かれ、以下のようなことを言っていました。新人選手は皆高校を卒業したばかりで少年といってもいい若者です。そんな子がマスコミでちやほやされ、大人が一生かかっても得られない大金を手にする。すると自分ほど偉い者はないという気分になり、周りは生意気だと顔をしかめる。その年ごろでそんな扱いを受けると誰でもそうなる。私は「おまえら天狗になってもええがずっとそのままでおれ」と言います。しかし、選手にはスランプがある。ホームランバッターが全然打てなくなり、ピッチャーはストライクが入らなくなる。その時、天狗の鼻がポキンと折れる。折れて自信をなくしどん底に落ちたあと、そこからはい上がって初めて一人前です。それは打てない球が打てた、ストライクが入るといった技術的な問題ではない。それまで自分の力でやれたと思い上がっていたのが、自分はそれほどでもない。コーチ、バッティングピッチャーなどいろいろな人のお陰で今の自分があると気づいた時、大人になったと認められると。野球に限らず、いろいろな人のお陰と感じる、つまり意識を転じることが大事なのです。

 うちの学校でも一人っ子の中学、高校生が多く、わがままな子ばかりで人の言うことを聞きません。ある時、二人の女の子がけんかをしていまして互いに「私は悪くない。あんたが悪い」と譲りません。そこで教師が「中学生にもなって、あんたが悪いと相手を責めるだけで世間が通るか。先生は一時間ほど職員室にいるから、よく考えてから来なさい」と諭しました。あとでやって来て二人とも「私もやっぱりちょっと悪いと思います」といったそうです。自己中心から転じたことで二人は仲直りしました。思い通りにならないものを思い通りにしようとする傲慢さからいかに変われるかではないでしょうか。

苦にしない力こそご利益

 雑阿含経の中に「四人の妻」の話があります。インドのある村にいた一人の男が四人の妻を持っていた。一番目は最も寵愛しいつも離したくない妻。二番目は人と争い勝ち取った妻。三番目は気ままなことを言い合い、時には慰めてくれる妻。四番目は何でもしてくれる召し使いのような妻でした。ある時男は旅に出ることになり、四人それぞれに「いっしょに来てくれ」と頼みました。一番目は「大事にしてもらいましたが、行けません」。二番目も「行くわけにはいきません」。三番目は「そこの角まで送らせてもらいます」。四番目だけが「喜んでついて行きます」でした。

 男とは人間の魂と心であり、旅とは死ぬことです。一番目の妻は人間の体であり、死ねば離れるしかない。二番目は財産、地位、名誉のことで、これも付いて行けません。三番目は兄弟、家族であり、火葬場までは送ってくれる。四番目は私たちが歩んできた行為であり、死後も残るという寓話なのです。つまり私たちが最も大事にしなければならないものなのです。

 「病気が治るのがご利益ではない。病気をも苦にしない力こそ現世利益である」。この言葉をかみしめて、日々を送って頂くことを念じております。