元ラグビー日本代表
第1回ワールドカップキャプテン

林  敏 之 氏

1960年徳島生まれ。ラグビー全日本高校代表を皮切りに,日本代表を13年間務め,神戸製鋼では7連覇を達成。第1回ラグビーワールドカップキャプテン。オックスフォードに留学しケンブリッジとの対抗戦バーシティーマッチに出場し,ブルーの称号を得る。現役引退後はラグビーで体験した感動を伝えようと,講演活動は1,000回を超える。NPO法人ヒーローズ,(株)MARUプロの代表を務める。

 1987年の第1回ワールドカップで私はキャプテンをさせてもらいました。日本は第2回ワールドカップでジンバブエを破りまして,ところがそのあと全然勝てませんでした。2015年のイングランド大会まで1勝2分21敗だったと思います。2015年大会で,南アフリカを破りました。そして去年の日本開催ワールドカップは非常に盛り上がりました。皆さんもラグビーの素晴らしさを体感していただいたのではないかなと思います。
ラグビー, 恩師との出会い
 私は徳島で生まれ,中学校でラグビーを始めました。高校も弱小チームでしたけど,高校3年で全日本高校代表のオーストラリア遠征のメンバーを選ぶためのセレクション合宿に呼んでもらいました。練習の手伝いばかりで悔しかったこともあり,あるとき,対面にいた選手がボールを持った時に渾身の力でタックルし,それが決まったことで代表に選ばれました。
 オーストラリア遠征で素晴らしいコーチと出会いました。その後,伏見工業高校を日本一にする山口良治先生です。山口先生に,「おい,林よ,外人に通用しとったんはお前だけや」と言われ,大学でもラグビーをやろうと決めました。
 大学は同志社です。オーストラリア遠征前の強化合宿で同志社の岡仁詩先生から「林君,同志社大学入ってみないか」と言われ進学しました。よく練習しました。大学入学後2カ月で95㎏あった体重が80㎏まで落ちました。ぜい肉が全部とれて,そこから筋肉がつきました。練習が厳しいのでケガ人が出ます。ケガ人は見学ですよ。「ああ,うらやましいなぁ,俺もケガしないかな」。でも幸い頑丈で,その日を何とか過ごす。それが少しずつ自信になり,合宿の終わる頃には,1軍のメンバーに入りました。
 全国学生選手権では1年,2年のときも明治大学に負けました。負けてみんな泣きました。4年生が「お前ら来年こそ勝ってくれ」。残る我々は「来年こそ勝ちます」。そういう涙を体験しながら,大学3年のときに学生選手権で勝ちました。
挫折と再起
 卒業後は神戸製鋼に行きましたが,初優勝まで7年かかりました。優勝が手に届きそうなとき2年間キャプテンをやりました。でも勝てなかった。ひざも悪くして。私は平尾(故 平尾誠二)をキャプテンに推薦してやめようと思いました。そんなときに当時のラグビー部長に呼ばれ「林君,君はこのままラグビーをやめてもいいのか。ラグビーを教えてくれた中学,高校,同志社大学の岡先生に対して失礼だと思わないのか」。この言葉は胸に刺さりました。勝手にうまくなったような気になり,ラグビーを教えてくれた方々の存在や感謝することも忘れていました。
 そして「このままラグビーやめたら,俺はラグビーを恨んでしまう。だからもう1回やろう」とリハビリを始めました。左ひざじん帯4本のうち3本がだめでした。手術する時間もないから筋肉を鍛えてひざを固め,減量して負担を軽くする。これだけです。本気でやりました。私のラグビー人生のハイライトです。本気になったら3倍できました。筋肉が盛り上がり,体重も7,8キロ絞りました。わずか,ひと月ぐらいですよ。
 全国大会の1週間前にチームに合流。神戸製鋼は東芝に勝って初優勝することができました。表彰式ではキャプテンの平尾が「林さんが表彰状もらってきてください」と言うんです。普通はキャプテンが行くんですが平尾が「これをもらえるのは林さんしかいないですよ」と声を掛けてくれたんです。もう,ボロボロ涙が出ましたね。泣きながら賞状を受取らせてもらいました。
現役引退後の人生
 36歳まで現役を続けて,引退後は,ラグビーで体験した湧き上がるようなものを伝えたいと思い研修,教育の世界に入りました。ラグビーを教える中でNPOを立ち上げました。当時,小学生のラグビー大会がなかったので「ヒーローズカップ」という大会を立ち上げました。ヒーローズカップは13回目を迎えます。ワールドカップの年には日産スタジアムでも開催をしました。近畿から始めましたが,今では北海道から沖縄まで250を超えるスクールが参加してくれました。こどもラグビーワールドフェスティバルというのもやりました。
One For All,All For One
 「One For All,All For One」は本当に素晴らしい言葉です。自分自身を公共化していくOne For All 。人のことを考える前にありがたさや感謝を感じる心がなければ,人のことなんか考えられないと思います。そのとき初めて自分を公共化することができ,その先に和の世界があると思います。「One For All,All For One」を一言に訳したら「和」になると思います。
 今,新型コロナの影響で何か世の中の変わり目だという気がします。西洋から東洋へと軸が移ってくるというようなことを言われます。近代文明は西洋で生まれました。砂漠から生まれた宗教。自然に対してそれを克服していかなければ生きていけない,そんな中から科学が非常に発展しました。これからはまた新しい哲学が要るなと思うんです。それは,「One For All,All For One」。こういうものを持ったものでなければならないなと。特に日本は和の国ですからそんな意識を持った民族というか,それは実は本当に貴重だなということを思わせてもらったのが今回のコロナです。今後それこそ「One For All,All For One」 といいますか「和」の世界を求めていく中で日本の役割というのが非常にあるんではないかなと,そんなことを感じております。
(スライドとともに)


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