国際日本文化研究センター
教授

井 上  章 一 

1955年京都市生まれ。’78年京都大学工学部建築学科卒業,’80年京都大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。’87年国際日本文化研究センター助教授。2002年同センター教授。専門分野:建築史,意匠論。研究テーマ:風俗,意匠など,目に見えるものをつうじた近代日本文化史の再構成など広い分野にわたり活躍。最新作「京都ぎらい」ほか著書多数。

 野球が面白いと思い始めたのは,阪神タイガースが優勝した1962年,私が7歳の時でした。その2年後も優勝しました。3年間で2度も優勝する強いチームだと思い,ひいきを始めました。その後,あんなチームになるとは思っていませんでした。今年はやや期待できますかね。Aクラス入りぐらいは。
ファン拡大に貢献したサンテレビ
 今,阪神甲子園球場には毎日4万数千人のお客さんが集まります。一体だれがあんな阪神ファンをこしらえたのか,いつから阪神ファンは阪神ファンになったのか。そんなことに興味を持って調べるようになりました。だから,ユニークだと言われるのかもしれません。
 私の小学校は京都市の京極でしたが,卒業アルバムを見返してみると,YG(讀賣ジャイアンツ)の帽子をかぶった男の子が結構います。南海ホークスはチラホラいます。だけど,阪神タイガースの子はいなかったです。というのも,テレビの野球中継は,基本的に’80年代までは圧倒的にジャイアンツ中心でした。ジャイアンツ対どこそこという中継を,NHK以外は繰り広げていた。そのお陰で,野球好きはジャイアンツを応援していたと思います。
 様子が変わったのは,’60年代の終わりごろです。神戸のサンテレビ開局が’69年だったでしょうか。新しいUHF局でしたので,とにかく朝から晩まで番組作りに苦労し,古い映画なんかを再放送していました。そんなサンテレビが目をつけたのが,タイガースの試合の完全生中継でした。タイガースをテレビが真正面から取り上げた最初だと思います。
 タイガースのひいき筋は,まずサンテレビの放送区域から広がったのです。サンテレビはKBS京都とも提携したので,タイガースの野球中継は,その後,関西一円に広がりました。阪神ファンが増えていった大いなるきっかけは,サンテレビの決断にありました。当初は巨大な埋め草だったのかもしれませんが,この貢献はあなどれない。地方のUHF局が,地方の球団を応援するようになったのは,関西だけではありません。野球好きの半数以上を占めていたジャイアンツファンは,今や1割ぐらいしかおらず,その他は各球団に分割されていると思います。東京のキーステーションがほとんど野球中継をしなくなったのも,野球好きの地元チームひいきのお陰です。
「六甲おろし」なんて曲はない
 「六甲おろし」という曲を皆さんご存じだと思いますが,変な歌やと思われませんか。シーズン中に吹くのは浜風で,六甲おろしなんか吹きません。そもそも六甲おろしという言葉はあったでしょうか。’35年に神奈川県出身の佐藤惣之助が作詞しました。2拍子のありきたりのマーチで,だれもが考えるような単純なメロディーです。「あり得ない六甲おろし」と「凡庸なメロディー」が合体することで,音楽の奇跡か,あの曲はいつの間にか関西人の「君が代」のようになってしまいました。’60年代にそんな歌があることをだれも知らず,阪神ひいきの私も気がついていませんでした。
 親しまれるようになったのは,ABC朝日放送の貢献です。’71年,ABCラジオの「おはようパーソナリティ」という番組で,パーソナリティの中村鋭一さんが,阪神タイガースが勝った翌日,朝のラジオで「六甲おろし」を歌うという試みを始めました。それまで,キー局や準キー局は,どのチームにも偏らない公平・中立の中継を心がけていましたが,’70年代,ラジオはテレビ相手に低迷していた。そこで,番組スタッフは「この際,公平・中立は止めて,阪神でいきましょう」と考えたわけです。そのお陰で普及しました。ちなみに「六甲おろし」と一般に言われ,我々もそう理解していますが,実は中村鋭一が勝手につけた曲名でして,本当は「阪神タイガース応援歌」です。野球を支える放送局の大きさを感じますね。
1959年に生まれたタイガースの物語
 ジャイアンツを相手にして敗北を余儀なくされた関西のチームがかきたてるセンチメンタリズムは,元々は,南海ホークスが持っていたもので,決してタイガースが始めたわけではありません。
 様子が変わったのは’59年です。この年,秋の日本シリーズで初めてホークスはジャイアンツを打ち負かしました。4勝0敗の圧勝でした。お陰で,南海ファンの持っていた屈託は次第に薄まっていきます。同じ年に,新しい屈託が阪神タイガースに芽生えます。天覧試合です。天覧試合は6月25日に行われました。経過はよくご存じだと思います。最終回に村山実がジャイアンツの長嶋茂雄に逆転ホームランを打たれて,5対4でジャイアンツが勝ちます。ですが,村山は生涯,「あれはホームランじゃない,レフトへのファウルだ」と言い続けました。ほんまはどうやわかりませんよ。私にはわからないです。
 ここからは,私が先輩から聞いた憶測です。「ほんまは,あれはホームランと違うんや。でも,皇宮警察には天皇陛下を守らなあかん事情がある。延長戦になるのは困る。長嶋が手ごろなファウルかホームランをあの辺に打ってくれたから,ジャイアンツが勝った。村山と阪神タイガースは,天皇制の前に敗北を余儀なくされたのだ」。多分ウソやと思うけれども,そんな物語が阪神に芽生えたのです。くしくも同じ年に起こった出来事で,大阪の,関西の野球好きが南海ホークスに託していた思いは,阪神タイガースへと渡されました。そして,幸せなことに,まだ阪神はその恨みを晴らせていない。ちょうどええ時間になりましたね。どうもありがとうございました。





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