浪曲師

真 山  隼 人 

1995年生まれ。三重県鈴鹿市出身。
2010年2代目真山一郎師に入門。’11年全国最年少浪曲師として一心寺門前浪曲寄席にデビュー。’12年国立文楽劇場「浪曲錬声会」,「浪曲名人会」に出演。’13年三重県文化賞新人賞を受賞。’14年NHK東西浪曲大会に10代で初出演。’15年真山誠太郎門下へ移籍。’18年文化庁芸術祭大衆芸部門新人賞を受賞。

 老けて見えると思いますが,本当に24歳です。15歳で浪曲界に入りました。浪曲に出てくるおじいさん,おばあさんを15歳から演じていると,だんだん老けていくという悲しい定めです。なぜ15歳から浪曲に入ったのかを交えながら,話をさせていただきます。
舞台と会場の一体感に感動
 「両親も浪曲をやっていたのか」とよく聞かれるのですが,公務員と専業主婦で一切関係がありません。9歳のときに自分の部屋を与えられましたが,欲しかったテレビは与えられず,小遣いでラジオを買いました。いろいろ番組を聞く中で演芸番組の楽しさに気づきましたが,間違えて木曜の夜9時半にラジオを付けました。聞いていると演芸なのですが,落語ではない。面白いことを言うのですが,三味線が入る。一体これは何の芸能なのかと調べたら浪曲だったというわけです。
 その当時,関西と関東から7人ずつ師匠が集まって愛知県で浪曲大会がありました。チラシを見ると木曜午前11時からとあり,小学生は絶対に行けない時間で連れていってもらえない。出ている師匠は当時80代から90代の方ばかりで,今年見逃したら来年は見られない可能性がある。何としても行きたい。浪曲大会当日の朝,ランドセルをしょって「学校に行ってきます」と家を出ました。
 初めて聞いた浪曲は「声」や「節」の魅力があり,浪曲師が出てきて一口語ると,もう客席の皆さんがすすり泣いているのですね。舞台と会場の一体になる感じに感動して「これをやりたい」とずっと思っていました。
 それからも聞いていましたが,なかなか浪曲の世界に入る機会がありません。「男は15になったら何か事を起こさないといけない」と訳の分からない理由で,高校入学が決まった日に,親に内緒で弟子入りの手紙を書きました。2週間ほどして師匠の家から「弟子入りしたいそうですね」と電話がありました。親は何も知らず「ハァ」としか言えなかったのですが,15歳で弟子入りしました。
 三重の高校に通いながら大阪の師匠宅や仕事に行くのは大変でした。往復7~8時間を電車で通いました。20歳を超えてお酒も飲めるようになり,少しずつ家に帰るのが嫌になったため,今は大阪に住んでいます。
昭和30年代まで芸能の頂点
 「浪曲とは何ぞや」を説明させていただきます。浪曲,落語,講談が日本の三大話芸ですが,一番違うのは横に「曲師」と呼ばれる三味線のおっしょさん(お師匠さん)がいらっしゃることです。今日は曲師もお招きしています。沢村さくらさんです。
 曲師の弾く三味線に合わせていろいろな物語を語るのが浪曲ですが,明治の中ごろに確立し,落語や講談に比べると随分新しい芸能です。昭和30年代までは大衆芸能の頂点に立っていました。芸能人所得番付1位,3位が浪曲師で,2位がディック・ミネさん。「清水の次郎長」でおなじみの広沢虎造,「岸壁の母」の二葉百合子らスターがいました。残念ながら昭和30年代後半あたりから徐々に浪曲は下火になっていく。テレビが始まったからだろうと言われています。
曲師に支えられる浪曲師
 浪曲は「節(フシ)」と「啖呵(タンカ)」で構成されます。フシは歌の部分で物語や登場人物の心情が歌詞になっており,タンカは話の部分です。浪曲の三味線は譜面がなく,曲師は弾く技術も浪曲の成り立ちも覚えなければいけない。どういう成り立ちになっているのか,やってみたいと思います。
 まず舞台が始まります。「何とぞよろしくお願いいたします」とリズムのない語るようなフシがあります。これを「地節(ジブシ)」と言い,初めの一声でお客さんを引きつけるため「カァー」という高い声を出します。
 ~♪~月雪花と太平の夢に溺れて暮らすとは~♪~(拍手)
 このジブシがあった後に,リズムのあるフシになる。これを「キザミ」といいます。
 ~♪~何が何して何とやら~♪~(拍手)
 リズムのあるフシで,大体こういう物語ですよという情景を表して始まるわけです。悲しいときは悲しいフシになります。
 ~♪~こんな悲しいことはない,こんな悲しいことはない~♪~(拍手)
 これを「ウレイ」といいます。浪曲師の声だけでなく,曲師の掛け声があり,悲しいときには悲しそうな掛け声。うれしいときには,~♪~こんなうれしいことはない。こんなうれしいことはない。ありがたいとは~♪~と,明るい節(ウカレ)で喜怒哀楽を表します。
 浪曲師は曲師に支えられており,たまに舞台で「しまった,忘れちゃった」となっても見事にフォローしてくれます。シリアスな場面では「セメ」というのがあり,競馬中継やマグロの解体ショー,天気予報もできます。
 ♪三味線の伴奏で競馬中継を語る(拍手)
 フシの部分だけでなく,タンカの部分にもBGMのような弾き方があります。雪が降っているときは「雪の手」というのがあります。
 ~♪~ああ,よく降ったなあ。外は滑りそうだから今日は会社に行きたくないな~♪~
 いろいろな「手」があり「水の手」というのがあります。宮本武蔵が巌流島に舟を漕ぐシーンなどで使われ,漕いでいる手に合わせて弾く。漕ぐのが速くなると,三味線もそれに合わせてスピードを変えてくれます。
 最後に「忠臣蔵」を聞いていただきます。松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に切りかかったのが物語の発端とされます。私の大師匠の初代真山一郎は「刃傷松の廊下」のレコードが150万枚売れて家を3軒建てました。
 ♪「忠臣蔵」より「刃傷松の廊下」(拍手)


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