(株)大阪シティパートナーズ
チーフコンサルタント

木 村  忠 彦

1956年奈良県生まれ。’79年英知大学仏文卒業。同年大阪市消防局消防士。総務省消防庁,市役所等に出向。2011年西成消防署長。’14年淀川消防署長。’16年北消防署長。’17年退職,現在に至る。’11年東日本大震災では,指揮者として福島第一原発事故に部下を率い活動する。現在は防災について様々な場所で講演活動を行っている。

 大災害はいつやってくるのか分かりませんし,防ぐこともできません。私たちに唯一残っているのは,自分の命をしっかりと守り,備えていく「減災」だと思います。災害の「自助・共助・公助」のうち,「公助」は警察,自衛隊,消防などの組織があります。しかし,おおむね住民1,000人に1人程度の配置で,いざという時には限界があるのです。

(会場に緊急地震速報の音)
 「緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください」

 聞いたことがあるという方は,手を挙げて下さい。たくさん挙がりました。さすがです。それでは,これを聞いて「命を守る行動をとったことがある」という方は――。ほとんど手が挙がりませんね。
発生時に「思い込み」で逃げ遅れ
 緊急地震速報は,予想や予測ではありません。既に地震が起こって,強い揺れが来るというエリアに対して自動的に発信されるものです。しかし「命を守る行動はとったことがない」という方が多い。それが非常に気がかりです。実は人にはバイアス,つまり「思い込み」があります。このうち,正常性バイアスは「そんなことが起こるはずがない」と考えることです。一方,多数派(集団)同調バイアスは,火災報知ベルなどが鳴っても「誤作動か」とその場にいた人が慌てず,周りにあわせてしまい,逃げ遅れてしまうことです。
 バイアスの代表的な例として,2003年,韓国・大邱(テグ)市の地下鉄火災があります。列車内に煙が流れ込んでも,乗客は落ち着いて座っていました。このため車両が燃えて200人近い方が亡くなる大惨事となりました。
 また,大阪市此花区のパチンコ屋火災の例もあります。運転手がガソリンをパチンコの機械の横にかけて放火しました。実は私も当時の市長と一緒に現場に行きましたが,燃え方が非常にひどい。それでも,日曜日の昼間にパチンコ台の台越しに頭の上から火が襲ってきたにもかかわらず,客はパチンコを打ち続けていました。
 東日本大震災でも,阪神淡路大震災でも,実はそういう形で多数派同調バイアス,あるいは正常性バイアスで体がフリーズしてしまった例がありました。
 東北の地震の時は,私は大阪市消防局の本部方面隊長という職にありました。緊急消防援助隊の出し元だったので,現地ではなくて消防局の作戦室で指揮する役目でした。最終的には岩手県釜石市,大槌町,大船渡市に1,000名を超える隊員が1ヵ月以上部隊の活動をしました。発生直後,出発する前に消防局の講堂に500名の隊員を集めて訓示をしました。「私は阪神淡路の経験があるが,なかなか人を助けることができず,ご遺体の収容が非常に多いかもしれない」と話しました。
 部隊の指揮を任せた部下の南方面隊長には「部隊は必ずローテーションとし,休憩を取らせてほしい」と指示をしました。しかし,30時間かけて現地に到着すると,彼は作戦室の私に「今すぐ総力戦をやらせてほしい」と進言してきました。「ダメだ」と言っても,「いや,あなたはこの現状を見ていない」と訴えます。「命の限界72時間」の残りは少なく,何とか生きているうちに救出させてほしいと譲りません。結局,私も「わかった。今すぐ総力戦をやりなさい」と言いました。
遺体は「傷つけず, 救助を」
 現地でのエピソードがあります。自動車に5歳ぐらいの男の子が閉じ込められていました。両手を窓ガラスについており,可愛いおかっぱ頭でした。ただ隊員は見た瞬間に亡くなっていると分かりました。私は隊員たちに出発の時,「しっかりと生きた形で,それ以上傷つけることなく救助してほしい」と話していました。このため,ハンマーでガラスを割って引き出せば5分で済んだのですが,隊員たちは2時間かかって,その男の子を少しも傷つけることなく出しました。しかも,同時にボロボロになったお父さんも出てきたのです。恐らく,お父さんはこの子を連れて逃げたのでしょう。
 大阪消防は,東北の地震で結果的に200名を超えて救助したと言っていますが,実は生きて救出できた方はわずか2名でした。200名を超えたご遺体の収容を,非常に辛い思いをしながら行ったのです。
「ご無事で」ひと声で沈着に
 津波の後,福島第一原発は水素爆発を起こしました。原子炉というのは水が一定程度たまっていれば安全でしたが,水が水蒸気となって外へ出て爆発したのです。そこで水を注入するため,いよいよ消防の出番となり,私も福島原発の第一発電所の中に入りました。
 いよいよ福島原発にバスで入る時,90歳近いお婆さんがひょこひょこと近づき,作業服に大阪と書いてある私に「遠いところ,ご苦労様。どうぞご無事で」っておっしゃったんですね。私はバスに乗ろうとした時に,ハッと気がつきました。一般の人は立入禁止なのに,この方はどこから来たのか。そういえば,近くの体育館は遺体安置所。身内の誰かを安置所に探しに来たのではないか。それなのに,私を見て「どうぞご無事で」とおっしゃった。
 実はそれまで原発の中に入るのが非常に恐いと思っていましたが,その後は非常に冷静沈着に活動,指揮ができたと思っています。
 最後にお伝えしたいと思います。大きな地震は近い将来必ず起こります。これは歴史が証明しています。ぜひご家族,あるいは社員の方と一緒に,いざという時はこうしようと話し合って下さい。
(スライドとともに)




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