会 員

森 本  靖一郎 君(教育研究機関管理)

1932年10月生まれ。’55年関西大学文学部卒業,’57年同法学部卒業。’55年学校法人関西大学に奉職,’92年理事,2004年理事長,’08年理事・相談役,’12年顧問。’17年大阪府スケート連盟会長。’03年4月当クラブ入会。’06年プログラム副委員長,’09年青少年奉仕委員長・理事。

 1月17日,私が役員を務める「パソナグループ」は「公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」と「東京2020オフィシャルサポーター」の契約を締結しました。今,オリンピックの事務局で働いている人は1,200人いますが,開催時は7,000人から8,000人が必要。その人材募集と育成,五輪後の再就職のお世話をすることになりました。また,開催時に必要なボランティアは,9万人以上と言われています。その支援・サポートも行います。
 これから話をいたしますアイスフィギュアは,オランダの貴族たちによって始められたとされております。一方,わが国で初めて室内スケートリンクができたのは,大阪です。大正14年,大阪の市岡パラダイスに人工の屋内スケートリンク「北極館」が完成。初の五輪競技は1908年ロンドンで開催された夏季オリンピック大会でした。

(「関空アイスアリーナ」計画の紹介映像)以下,ナレーション概略――スケート人気は年々高まる一方,アイススケートリンクは約30年前と比べ73%減少。特に関西では1年を通じて利用できる室内リンクはわずか四つ。「関空アイスアリーナ」は,待ち望んだ室内多目的スケートリンクなのです。りんくうタウン駅,高速道路の入口に近く,関西全域はもちろん,四国からの利用にも便利です。
 計画では,国際規格のリンク1面とサブリンクを用意。また,最新の省エネシステムを装備し,充実した環境により,日本最高のナショナルトレーニングセンターとなることでしょう。愛好者の方も気軽に楽しめ,地域の健康増進に寄与するとも考えられています。スポーツが奏でる「希望・勇気・夢」,関空アイスアリーナはその中心として,南大阪から日本,ひいては世界に向けて希望・勇気・夢を発信していきます。

(映像)――宮原知子さん(関大),2017年12月23日全日本フィギュア優勝のフリー演技。ノーカット。

 12月23日当日は,私も大学関係者と一緒に行きましたが,競技が終わった瞬間は本当に感動いたしました。宮原選手はトロフィーを持ってリンクを1周。僕が「知子」と呼びますと寄ってきまして,フェンスを挟んでハグをしました。
関大のアリーナから名選手輩出
 今はフィギュアは華やかですが,以前は地味でした。佐藤信夫さん(関西大学・現フィギュアスケーティングインストラクター協会会長・浅田真央さんのコーチ)は学生時代から10年間連続全日本で優勝し,オリンピックに2回出場。その奥さんの旧姓大川久美子さん(関西大学)もオリンピックに2回出場しましたが,全然騒がれませんでした。それと比べると,荒川静香,浅田真央,高橋大輔,織田信成,町田樹,それに羽生結弦,宇野昌磨,宮原知子,本田真凜と続き,現在のフィギュアの人気は爆発的です。
 優勢になったフィギュア界の一大拠点は,2006年7月に竣工した「関西大学たかつきアイスアリーナ」だったと言って間違いありません。ちょっと自慢みたいですけど―。ここから高橋,織田,町田の男子勢に続き,宮原,本田,白岩優奈が活躍。この間トリプルアクセル―3回転トーループを決めた紀平梨花も含めて練習をしています。
 リンク開設のきっかけは,’04年11月,織田信成や関西大学のスケート,アイスホッケーが練習していました高槻の「オーツースケートリンク」が閉鎖したことです。関西大学のスケートの発祥は,1955年創部のアイススケート,’48年創部のアイスホッケー部。強豪でしたが,近隣の練習場がなくなり,他の練習リンクも飽和状態でした。
高額維持費解決へガス有効利用
 「何とかしてほしい」という声が出て悩みましたが,いっそのこと自前で造ろうと決心。関西大学の理事会に案を提出しました。当時理事は15人で,私を除いてほとんどの方が賛成ではなかった。建設費,管理経費が高額だったからです。そこで,アイスホッケー部やスケート部に寄付を集めさせ,私も一生懸命集めましたが,管理費でも氷をつくる経費が莫大に高い。その時,思い出したのが,若い時に見た大阪花博の「凍る橋」です。大阪ガス提供でした。スケートリンクの氷もガスで出来るのではと,当時の大阪ガス会長(野村会員)に相談。竹中工務店と大阪ガスの技術陣を集めました。
 そうすると,意外なことが分かってきました。年間50万m2以上使うとガス代は半額です。当時,高槻キャンパスのうちの学舎で年間32万m2使っており,アイスのスケートリンクを造ると年間30万m2かかります。足して約62万m2。半額になれば,現在の支払額と変わらない。「これだ」と思いました。
 再度理事会に諮り,「積極的に反対の人,手を挙げてください」と言いますと,皆さんうつむいておられました。「返事がないということは,ご賛成をいただいたものと思います」ということで理事会を通していただきました。そして出来上がったのが,関西大学のスケートリンクであります。
 佐藤さんがある講演で,「今日のスケート界の繁栄は,一に掛かって森本靖一郎さんである。あの方が,スケートリンクが全部つぶれたときにスケートリンクを造ってくれた。救世主です」と言ってくれました。
 今,私は86歳。今年の年賀状,書き初めに,「86歳,今が青春」と書きました。




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