元プロボクシング世界チャンピオン
西日本ボクシング協会
会長

井 岡  弘 樹

1969年大阪府堺市出身。第2代日本ミニマム級王者,元WBC世界ミニマム級王者,元WBA世界ライトフライ級王者で2階級制覇。現役時代はグリーンツダボクシングクラブ所属。エディ・タウンゼントの最後の愛弟子。
井岡弘樹ボクシングジムの会長を務め,甥の井岡一翔をチャンピオンに育てるなど後進の育成に努める。また,神戸先端医療センターにて人工透析患者へボクシエットで軽い運動の指導や京都大学医学部での講演等,医療機関での講演や指導を多数行う。

 中学1年生だった13歳でボクシングを始め,30歳を前に引退しました。引退してからもう約19年になります。今日は私のボクシング人生についてお話をしたいと思います。
チャンピオンへの道のり
 17歳でプロボクサーになりました。家でも学校の勉強ではなく,ボクシングの本やビデオを見るのが大好きな少年でした。小さいころから走る練習ばかりしていました。
 中学校3年生の時,実家が大きな借金を背負うことになり,一家はばらばらになったのです。でも今は,「この経験があったからよかった」と思います。定時制のボクシング部がある大阪の今宮工業高校に入ったのですが,1日でやめました。職業としてボクシングを選んだのです。
 朝,5時過ぎに起きて,6時から1キロ2分50秒ぐらいで走る10キロのランニング。午前9時から午後4時までは,休憩なしで,仕立て屋でアルバイトです。時給550円で,1日3,850円で食事や風呂をまかなっていました。そんな生活を2年半続けました。
 デビュー三戦目で相手の堅いおでこを打って,右手を複雑骨折してしまいました。回復までに半年かかりました。仕方がないので,その間はひたすら左ばかり練習しました。だから今でも左手のほうが手首も太いですし,長いです。「左を制する者は世界を制する」という言葉があります。お陰で本当に左が強くなり,連勝街道をひた走ることができました。
 日本チャンピオンになったのが18歳6ヵ月。練習はさらに厳しくなりましたが,当時は死ぬことよりも,試合に負けることが一番怖かったです。負けないために,どんな苦しい練習も,どんな減量もすると決めていました。世界チャンピオンになったのは,1987年10月18日で,18歳9ヵ月10日でした。今も破られない最年少記録として残っています。
 今日もいらっしゃる関西テレビの福井さんが撮ってくれた,今は亡きエディ・タウンゼントコーチと私のドキュメンタリーがあります。がんでやせ細っていたエディさんは,ご飯も食べられない状態でしたが,「お前が勝つのを見てから私は死ぬ」と本当に頑張ってくれました。’88年1月31日,大阪城ホールでの初防衛戦。エディさんは試合の控室まで来てくれましたが,すぐに救急車で病院へ運ばれました。でも,エディさんは頑張ってくれました。
 試合は最終12ラウンド1分30秒過ぎ,逆転ノックアウトで勝ちました。すぐに病院に駆けつけると,まだ生きてくれていました。「勝ちました」と報告すると,うなずいたエディさんはもう半分涙目でした。数時間後,日付が変わった2月1日の深夜1時にエディさんは亡くなりました。
2階級制覇,3階級制覇への挑戦
 その後,私のボクシング人生は,一番辛い時期を迎えます。ナパ・キャットワンチャイ選手との対戦は,1回目が疑惑の判定勝ち,2回目は判定負け,3回目がKO負けでした。同じ相手に3回負けるのは,引退を意味します。まだ二十歳でした。
 王者から陥落して,応援してくれていた皆さんが去り,心が折れました。半年ぐらいは本当に自分自身に負けて,毎日お酒に逃げました。でも,何が何でも,もう一度世界チャンピオンになって皆を見返してやるという思いがありました。やはり練習しかありません。体脂肪率は1%。それぐらい厳しい減量もしました。
 ’91年12月17日に2階級制覇を達成し,何とか世界チャンピオンに返り咲くことができました。3階級制覇を果たすために,さらなる厳しい練習を重ねました。残念ながら,3階級制覇への挑戦は23歳から28歳までで3回失敗しました。それでも闘争心だけは本当にありました。最後の試合は,’98年4月29日の飯田覚士選手との一戦です。接戦でしたが,判定で負けて,その年に引退しました。
選手のセカンドライフ支援を
 30歳過ぎてから,もう一度,高校に入り直しました。何とか3年間で卒業した学校で,私の席の後ろは72歳のおばあちゃんでした。がんばっている人はたくさんいます。私は今も,大阪経済大学で学び続けています。
 団体の会長として2期目の仕事に臨んでいます。30歳過ぎてから高校に入った私自身の経験も踏まえ,4回戦や6回戦,8回戦で終わるような選手のセカンドライフを支える支援への協力を皆様にお願いしたいです。選手たちは,とても厳しい練習を積んでいるので,基礎的な体力はすごいし,苦労にも耐える力があります。規則正しく,礼儀も正しい。でも,どうしても再就職先に制限があります。
 ボクシングのイメージを上げるため,啓発・宣伝活動もしています。ボクシング人口は減っていますが,女性はものすごく増えています。うちのジムにも東洋太平洋チャンピオンの女の子が1人います。ボクシング人口を増やす良い方法があれば是非教えてください。
 最後にエディさんの言葉を紹介します。友人のカメラマンが「世界チャンピオンと世界チャンピオンにならない人の差ってどれだけですか」とエディさんに尋ねました。エディさんは「この1センチの壁を破れば世界チャンピオンになれる。だから,その壁を破るために皆頑張っていこう」と言いました。1センチの壁を破るためにちょっとだけ頑張っていけば,ほんまにいいことが見えてくると思います。ありがとうございました。
(スライドとともに)





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