大阪天満宮
宮司

寺 井  種 伯 

1957年3月関西学院大学文学部史学科卒業。’58年3月國學院大學神道専攻科卒業。’61年4月明治神宮権禰宜。’64年12月大阪天満宮禰宜就任。’65年3月四条畷神社宮司就任。’89年12月大阪天満宮宮司就任。2005年7月財団法人大阪國學院理事長就任。’06年4月神道文化会理事。’17年2月神社本庁長老称号を受く。大阪天満橋RC会員。

 学者でも,郷土史家でもないものですから,本日は,「大阪の古代を語る」なんて仰々しいテーマではなく,ちょっとソフトな感じで,昔の大阪の話をさせていただきます。奈良の平城京に遷都された710年,京都に平安京ができた794年。それよりも遥か昔,日本の中心となる皇都が大阪にありました。
日本の中心地だった大阪
 高殿に上られて,民のかまどから煙が出てないのをご覧になり,「3年間は税金を取らない」とおっしゃった仁徳天皇が難波高津宮に都を定められたのが313年でした。自らの手で日本の国を造るのだという志を持った大変意欲的な天皇で,洪水に悩む人々を救うため,治水事業を手がけられました。リーガロイヤルホテルのすぐ前を流れている大川を開削して運河を造り,都を洪水から護られたと伝えられています。今の旭区から城東区にかけて,あるいは北河内にかけて,茨田堤という大きな堤防が今に残っています。
 その後,300年余りを経た645年には,第36代の孝徳天皇が,長柄豊崎宮をおつくりになった。今の馬場町,NHKのところの向かい側に難波宮跡がございますが,あそこと同じ場所に,難波宮の100年ほど前に長柄豊崎宮があったことはほぼ間違いないと言われております。さらに744年には非常に短い期間でしたが,難波宮に遷都されました。奈良の平城京,あるいは京都の平安京のある以前から,大阪は日本の中心地であったわけです。
大阪で続いていた朝廷の古儀
 1,200年から1,500年ぐらい昔の大阪の様子を描いた地図を見ると,海の中に鼻のように出ているのが上町台地です。ここに高津宮や難波宮といった皇居がありました。東大阪や門真といった地域は,すべて河内潟という海でした。天神橋を渡り,どんどん南の方に行くと松屋町筋があります。あの辺りが当時の波打ち際でして,その南に行くと,住吉大社の辺りに至るとご想像ください。
 かつての風景をしのばせるように,現在でも都島,福島,加島,姫島,四貫島,御幣島,歌島,松島,柴島,桜島,萱島,三ツ島,稗島,恩加島といったような,島のつく地名が大阪にはたくさんあります。
 実は,「八十島祭」という,今は行われていない朝廷の儀式が存在していました。
 天皇は即位されると,必ず「大嘗祭(だいじょうさい)」というお祭りを奉仕されます。皇室の先祖に当たる天照大神と同食,同衾するお祭りです。中身は秘儀とされていますけれど,天照大神のお命そのものを伝承する,皇室にとっては大変重い儀式です。
 かつては大嘗祭を終えた天皇は,その次に八十島祭の奉仕をされていました。その祭場となったのが,大阪の難波のみさきだったのです。
 平安時代に入っていた850年に第55代の文徳天皇が行われてから,第86代の後堀川天皇まで八十島祭が続いたという記録が残っています。10世紀の中頃にできた「延喜式」には八十島祭にどういうものをお供えし,どういう形で行うのかということがきちんと記されています。
 都が京都にあるにも関わらず,わざわざ難波のみさきまで使いを遣わす。ご自分のつけられる御衣(おんぞ)を難波のみさきにまで持たせて,お供えものをする。そこでお祭りをして,最後にその御衣の入っている箱を大きく右,左に振りなさい。そのように書かれています。
 平安時代になって,この儀式が急に始まったと考えるのは不自然でしょう。それ以前の資料が失われたとみるべきではないでしょうか。遡って,難波に都があった時代,難波宮から上町台地の先端までは至近距離にありました。御衣を典侍(ないしのすけ)に預けるのではなく,天皇自ら台地の先端に立たれ,大海原の風を受けられた。始まりはその辺りにあったのではないでしょうか。
 何より,先ほどお話しさせていただいたように,当時の大阪にはたくさんの島々がありました。潮風に当たる清々しさ,あるいはお祓いとも言うのでしょうか。いずれにせよ,八十島祭という大切なお祭りが朝廷によって続けられていたのです。
2年後に八十島祭の復活を
 ところが,鎌倉幕府が成立し,北条氏が権力を握った時代を限りに,八十島祭の記録は全くなくなってしまいます。承久の乱で,後鳥羽上皇や順徳天皇が島流しとなり,公家が持っていた領土は,実質的に幕府のものにされてしまい,武士に論功行賞として与えられました。皇室に対する武士の反発で,いわゆる宮中の祭儀が否定されたのではないかと想像しています。平安京が置かれた京都で,すでに長きにわたって,政治が執られていた時代,わざわざどうして大阪の難波のみさきまで出向いて,お祭りをしなければならないのか。そんな理由もあったのではないでしょうか。
 されど,実際は難波に都があった時代,仁徳天皇,あるいは下って孝徳天皇の時代,645年当時から恐らく八十島祭は行われていた。皇室の大変大切な儀式として行われていたであろうということは想像できるわけです。
 なぜ,私がそんな話を申し上げたか。それは早ければ来年末にも,天皇陛下が退位されることになっているからです。皇太子さまが即位し,大嘗祭を行うのは2年後になるでしょう。そのタイミングに合わせて,大阪難波の都で,おおよそ800年ぶりとなる八十島祭の古儀を皇室に復活していただけないか。私は,とても大きな期待を抱いています。そういう思いにも支えられ,本日は八十島祭をテーマとして選ばせていただきました。





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